7つのチャクラ 
魂を生きる階段 
キャロライン・メイス  川瀬勝一・訳 
 サンマーク文庫
 

 7つのチャクラの象徴的な力

 東洋の宗教は、人間の身体には7つの気の中心点があると教えている。この7つの中心には、私たちが高次の意識に進化していく過程で学ばなければならない、人間に共通の霊的レッスンが隠されている。自分が本能的にこれら7つの気の中心に焦点を合わせていたのに気づいたのは、もう何年にもわたって日常的に直観医療診断を続けてからのことだった。古代から伝わるこの神聖なイメージは、人間の気系の姿、その動きや、傾向について、驚くほど正確な描写をしている。
 チャクラの体系は、人間の成熟の過程に見られる7つの明確な段階を、元型(アーキタイプ)として描写したものだ。チャクラは、人間の身体の脊髄の基底から頭頂まで、縦一直線に並んでいるが、これは、私たちが物質世界の誘惑を徐々に克服することによって、神性へと昇華していく過程を暗示している。チャクラにある学びをマスターしていくにつれ、人は力について、また自己についての知識を得て、それが自分の霊に統合されていき、高次の霊的意識に向かう道を一歩前進することができるのである。
 7つのチャクラに表される霊的な学びを要約してみよう。

◇第1チャクラ 物質世界についての学び
◇第2チャクラ セクシュアリティ、仕事、物欲についての学び
◇第3チャクラ 自我、人格、それに自己敬愛についての学び
◇第4チャクラ 愛、許し、慈しみについての学び
◇第5チャクラ 意志、自己表現についての学び
◇第6チャクラ 知性、直観、洞察、叡智についての学び
◇第7チャクラ 霊性についての学び

 これらの7つの霊的な学びは、高貴な意識へと私たちを導いてくれる。この7つの霊的な学びをきちんと意識して見つめる必要性と責任を無視すると、そのエネルギーが病気となって現れることもある。まさしくこの点について、東洋の霊的な教えは、病気というものを内面の力、あるいは霊の力が枯渇した状態と解釈している。人間の霊的な面を語る世界の主だった教えも、やはりこれと同じ解釈をしており、霊と身体、そして病気と癒しとのあいだにあるつながりについて、人類共通の体験があることを強く示唆している。象徴的な解釈をすれば、キリスト教の7つの聖典も、7つのチャクラと明確に対応しているのがわかる。

 「7つのチャクラ」と「7つの聖なる真理」との共通性

 私たちの身体系にある7つの力の中心点には、それぞれ、7つの聖なる真理のうちのひとつが内包されている。この真理は、内面で脈動を続け、その力の適切な使い方に沿って生きていくよう、私たちを導こうとする。私たちは、この7つの真理に関する知識が気系のなかに織り込まれた状態で生まれてくるのだ。これらの真理をないがしろにすると霊と身体の両方を弱体化させ、逆に尊ぶと、霊と身体を強化してくれる。
 エネルギーとは力であり、身体はエネルギーを必要としている。つまり身体は力を必要とする。チャクラや、キリスト教の7つの聖典は、力との交わりについて語っている。
 たとえば、最初のレベルでは、まず私たちは、集団のなかでのアイデンティティ、そして家族のなかにある力をもつことに、どう対処するかを学ぶ。あとのレベルでは、一個の成人として、力を個性化し、コントロールすることを学んでいくのだ。そして、心、思考、さらに霊をコントロールする術をだんだんと学んでいく。あらゆる選択は、信頼、あるいは恐れによって動機づけられ、霊にひとつの方向性を与える。
 ある人の霊が恐れによって動かされているとしたら、恐れが気場と身体に戻ってくるのだ。逆に、信頼によって霊を方向づけてやれば、慈しみが気場に戻り、生体系は嬉々として健康な状態を続けられる。洋の東西を問わず、どの教えをとっても、恐れや否定的な感情を通して自分の霊を物質界に解き放つことは、天意を無視し、利己的な意志を優先する、信心なき行為であるとしている。東洋の教えでいう、すべての行いはカルマをつくり出すということだ。覚醒した行為は良いカルマをつくり出す。恐れや否定的な行動は悪いカルマをつくり出し、そうすると、その否定的な行為の動機となった恐れから、自分の霊を「取り戻して」こなければならない。キリスト教では、告解の聖典が、天国に「全き状態で」入るために、悪い場所から自分の霊をよび戻す行為となる。私の出会ったアタバスカン族の師、レイチェルの言い方を借りれば、きちんとまっすぐに歩けるように、人は自分の霊をよび戻さなければならないのである。
 私たちは、同時に物質と霊の両方の存在である。自分を理解し、身体と霊の両面で健康を保つためには、物質と霊がどういうかたちでかかわりあうのか、身体から霊や生命力を吸い取ってしまうものは何か、そして、恐れ、怒り、過去への執着などの「ニセものの神」から自分の霊をよび戻すにはどうすればよいのかを理解しなければならない。私たちの身体、理性や心にエネルギーを与える力は、DNAにその起源があるのではない。それは、神なるものそのものに根ざしているのだ。真理とは、かくも単純で、しかも永遠のものだ。

 (以下略)
 
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