7つのチャクラ 
魂を生きる階段 
キャロライン・メイス  川瀬勝一・訳 
 サンマーク文庫
 

 第2チャクラ(人間関係の力)と身体とのつながり

 (中略)

 第2チャクラの物理的なエネルギーは、すべての人間関係は根本的に霊的なメッセンジャーである、ということを象徴している。それは、自分のもつ強みや弱みについての気づきを自分の人生に(そして相手の人生にも)、もたらすはたらきをするのである。家庭、仕事、住んでいる地域での関係から政治活動にいたるまで、すべての人間関係は霊的な価値をもつ。第2チャクラのエネルギーは、人間としての成長を助けてくれるのだ。誰が、そして何が自分にとって価値があるかをすぐに判断したがる衝動を捨て、相手を敬うことや、自分に与えられた課題に対して意識を向ければ、その関係の象徴的な価値が見つけやすくなる。
 第2チャクラの気は、本質的な二面性を抱えている。前章で述べた同族の精神に代表される、第1チャクラの一体化された気は、第2チャクラで対極に分かれる。この分割された力には多くの名前が与えられてきた。陰と陽、アニマとアニムス、男性と女性、太陽と月などだ。これらの対極に隠された意味を理解することは、第2チャクラに関係した問題に対処していくのに重要な鍵をもつ。
 第2チャクラの二面的なエネルギーには、自分を知るために役だつ人間関係を、確実に
「引き寄せてくる」力がある。「類は友を呼ぶ」とか、「学ぶ者が準備のできたときに、教師は現れる」といったようなよく知られた言いまわしは、会うべき人にいつ、どこで会うのかを決めている「裏で糸を引く」力があり必ず適切なときにその出会いが起こるようになっていることを認めているのだ。第2チャクラには、これを意識してほかの人間とかかわるという霊的な課題がある。自分の成長を支えてくれる人びととつながり、その障害になるような関係は手放さなくてはならない。
 物理学は、この第2チャクラのエネルギーを、因果律(すべての力には、それと同等の反作用がある)、そして磁力の法則(反対の磁極をもつ物体どうしは引き寄せあう)として認識している。人間関係にこれをあてはめてみよう。私たちは、ある特定パターンの気を出していて、ある面で自分と対極にあるような人びとを引き寄せるが、その人たちは、必ず何かを教えるためにやってくる。何の脈絡もなく、ただバラバラに起きることは何ひとつないのだ。これまで形成した人間関係も、すべてそれが起こる前に、私たちは自らが出す気によって扉を開いていたのである。
 この事実があるからこそ、第2チャクラの二面性について学ぶことは、すばらしい果実をもたらしてくれる。つまり、第2チャクラの気は、それを意識するようになればなるほど、うまく使えるようになるということだ。

 選択とは創造することのプロセス

 第2チャクラの気は、同族という集団の気を越えて成長していく助けとなってくれる。選択は、対立するふたつの極があるからこそ生まれてくるのであり、第2チャクラの二面性は、プラスとマイナスの気のパターンの相反する極がつくる世界で選択を続けていくという、永遠の課題を投げかけている。すべての選択は、私たちの気の微細な電流を宇宙に放つ。そして宇宙は、気の放つ微細な電流に反応するのだ。
 創造的、霊的な意味あいも含めて、選択の力をコントロールしていくことが、人間として存在するという体験の本質部分なのだ。選択するという力こそが、私たちの霊を物質に、言葉をかたちあるものへと変換するはたらきである。霊についてのあらゆる教えは、このことに気づくよう、私たちにひらめきを与える方向にはたらく。選択とは、創造のプロセスそのものなのである。
 私たちの行う選択が、私たちの霊を物質へと織りなしていくという事実こそ、世界のおもだった霊的な教えが、基本的にただひとつのレッスンを中心に形成されている理由でもある。それは、賢い選択をしなさい、ということだ。なぜなら、ひとつひとつの選択は、自分の霊の力を創造的に行使することにほかならず、その責任も自分でとらなければならないからである。さらに、信念をもって行われた選択は、そこに点の力がフルに加わることになる。だからこそ、「けし粒ほどの信念が、山をも動かす」ことができるのだ。逆に、恐れから行われる・選択は、信じる心の気を侵害することになる。
 だが、選択には神秘的な一面もある。というのは、自分の選択のもたらす結果をすべて知ることはけっしてできないからだ。第2チャクラがまず最初に教えるのは、選択というものの矛盾する本質である。正しいと思ったことが、結局は誤りとなったり、良いと思えたことが、最終的には悪いものとなったりする。すべてがうまくいっている、まさにそのとき、大混乱が生じて、すべてをバラバラにしてしまうこともある。
 逆説的なのは、第2チャクラの気が、人生をコントロールしようという方向に私たちを向かわせるのに対し、第2チャクラから得るべき学びとは、何もコントロールすることなどできない、という点であるということだ。私たちは物理的な存在であると同時に、気の存在だ。物理的な世界をコントロールすることはできないのだから、私たちの目前にある課題とは、外面の世界に対する私たちの内面の反応をコントロールできるようにする、ということになる。つまり、思考や感情である。
 そうはいうものの、誰もが自分の人生をコントロールしようとして、結局は失望するという、終わりがないように思えるサイクルのなかでもがく。すべてに完璧な秩序をもたらし、あらゆる変化の動きを止めて、すべての人びと、すべてのものごとに対する最終的なコントロールを可能にしてくれるような一大選択を私たちは求めつづけていく。それは仕事? それとも完璧な結婚相手? あるいは住む場所なのか? この、ただひとつの選択をつねに探し求めることで、私たちは、本来は人生そのものの姿であるはずの、変化するリズムというものに対する恐れに実体を与え、それを現実の存在にしてしまう。永遠のやすらぎ、安定、愛、そして健康をもたらしてくれるはずの、どこかに存在するひとりの人間、あるいは何かひとつのものを探し求めるなかで、私たちは「目の前にある外面の世界ではなく、内面にある本当の力」を取るに足らないものとして見過ごす。
 二面性をもつ矛盾した本質のなかにある真理とは、こういうことだ――大切なのは何を選ぶかではない。結果に影響を与える力は、ある選択をした理由のほうに存在する。
 第2チャクラの課題は、私たちがある選択をするときに、何がそうさせるのかという動機を学ぶことである。動機を学ぶなかで、私たちは自分の霊の中身についても学ぶことができる。あなたは恐れで満たされているのか、信ずる心でか。私たちの選択は、すべてこの信ずる心、あるいは恐れのどちらかの気をもっており、選択の結果もまた、ある程度そのどちらかを反映する。この選択のプロセスのはたらきで、自分からも、自分の下した決定からも、私たちは逃げられないようになっているのだ。
 第2チャクラの気はまた、変質しやすい激しい性質をもつ。創造を求めていくためだ。また、身体の生存に関係することにもつながっている。つまり、セックス、権力、それに
お金という、人間関係の通過といえるもののことだ。
 物質世界に自分の居場所をつくっていく過程で、内面にある信ずる心と恐れとのせめぎあいは、いま目の前にあり、思考を支配している生存の問題の下に埋もれてしまう。ちゃんとお金を稼げるのか、パートナーとなる相手を見つけられるか、自分のことをきちんと養っていけるのか、などの問題だ。
 第2チャクラに関係する事柄の陰の部分は、誰もが抱く恐れから成りたっている。強姦、裏切り、貧困、見捨てられること、孤立、性的不能、それに自分の世話ができなくなることなどだ。このような恐れは、どれも私たちを支配する力をもち、一生のあいだ、進む方向を決定しつづけることもあり得る。聖書の言葉でいえば、このような恐れは、どれも「ニセ物の神」となる。
 自分の選択の動機を学び、自分の「ニセ物の神」が何かを見つけ出すために、私たちは
人間関係を必要としている。

 (中略)
 
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