教科書が教えない歴史
藤岡信勝/自由主義史観研究会 
産経新聞社
 

 満州の利権めぐり対立始まる

 ルーズベルトの仲立ちで、1905年8月29日に日露講和条約が結ばれました。これをある教科書は、次のように書いています。「条約によって、樺太の南半分を日本の領土にすること、ロシアが清国から借り受けていたリャントン半島と、南満州の鉄道の権利を日本にゆずること、などが決められた」
 南満州の鉄道とは、ロシアが満州を支配するために敷いた東清鉄道の南半分(今の長春と旅順の間)のことです。地図帳で確かめてみてください。日本はこの鉄道を経営することになりました。当時の世界では、強い国が他国の経済的な特権をもつことが認められていました。日本もこの権利をもつことになったのです。
 この地方は、もともと遼河を利用して船でモノを運ぶのが経済の基本でした。南満州鉄道は、この川にそっていました。鉄道は、モノを速く大量に運ぶことができますから、遼河の水運に代わる経済の基本として高い利益が期待できました。
 しかし、日本は日露戦争で、外国からの借金をふくめ膨大な戦費を使ったので、この鉄道を経営する資金の見通しがたちませんでした。
 この時、来日中のアメリカの実業家ハリマンが政府に「資金を提供するので、南満州鉄道を日本と共同経営しよう」と提案しました。
 ハリマンは「鉄道王」と呼ばれ、大陸横断鉄道会社や汽船会社を経営、世界的に有名でした。日本へは鉄道と汽船で地球を一周する交通路をつくるという大計画をもってきていたのです。日本はハリマンから、多額の戦費を借りていましたので、桂太郎首相や政財界の人々が千人も集まり大歓迎会を催しました。そして、桂首相はこの提案を歓迎し、協定を結ぶ約束をしました。熱心に賛成していた元老・井上馨は、日本の安全のためにもよいと考えていました。というのは、日本はロシアの進出を阻止するために日露戦争を戦ったのですが、日本一国だけで満州を守ることはできません。そこにアメリカが入ってくれればつごうがよいのです。
 ところが、講和会談を終えてアメリカから帰国した外務大臣の小村寿太郎は、この話を聞くと「とんでもないことだ」といって猛反対しました。理由は「莫大な戦費を使い、数十万の兵士の血を流して手に入れた権利を、外国に売り渡すまねはできないし、国民の意思にも反する」というものでした。
 皆さんはどちらの意見に賛成ですか。
 結局、小村の意見が通って、日本はハリマン提案を拒否しました。南満州鉄道は日本だけで経営することになりました。この時から40年後、日本とアメリカは戦争をしますが、両国の対立の始まりは、この満州の鉄道利権です。もしハリマン提案を受け入れていたら、日米戦争はなかったかもしれません。 (安藤豊)
 
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