教科書が教えない歴史
藤岡信勝/自由主義史観研究会 
産経新聞社
 

 経済封鎖で追い詰められた日本

 日本は資源に乏しい国です。だから明治以来、国内の産業を育て、その製品を外国に輸出することによって経済を成り立たせ、豊かになろうと努力してきました。
 日本製品の輸出にとって、最大のお得意様は常にアメリカでした。特に重要な品目は生糸でした。生糸は、日本の貧しい農家が手作業で生産したものがほとんどで、それらの農家のおもな収入源となっていました。
 ところが、1929年、きわめて不幸な事態が発生します。アメリカの株の暴落によって始まった世界的な大不況です。アメリカではこれによって多くの人が職を失いました。
 アメリカは、第一次世界大戦によって深く傷ついたイギリスにかわり、世界一の金持ち国となっていました。ところがアメリカには、世界の経済を左右する力を自分がもっているという自覚があまりありませんでした。
 だから、大不況が勃発したとき、他国への影響を考えず、自国の産業の立て直しだけを考えて、他国からの輸入を極端に制限する政策をとってしまいました。その結果、今度はイギリスが自国とその勢力圏内の経済だけを重視する政策をとってアメリカに対抗したのです。
 日本は悲惨でした。まず、アメリカで日本製生糸の値段が暴落してしまいました。輸出してもさっぱり儲からないのです。
 その結果、生糸を作っていた日本の多くの農家は大打撃を受け「娘を身売りに出す」などということがやむをえず行われるようになりました。当時の多くの日本の人々は、この農民の苦しみを見て時の政府、政党内閣の政治を見限り、満州、そして中国中央部へと軍事的勢力を拡大しようとする軍部に声援を送るようになったのです。
 また、日本はようやく国際的に売れるまでに成長してきた日本の工業製品の売り先をなくしました。イギリスとその勢力圏内の国が日本の製品の輸入に高い税金をかけたからです。特に、日本の綿製品や電球などはひじょうに安くて良質だったため、狙い撃ちにされました。
 このような仕打ちによって、多くの日本人は「もはや、日本は米英と手を切り、自給自足のための経済圏を持たねばならない」と思うようになりました。そして、軍部の中国大陸進攻を強く支持したのです。しかし、その結果、日本は世界からますます孤立し、ついにはアメリカ、イギリスを相手に無謀な戦争に突入していくのです。
 どの国にも、自国の産業を保護しようとするのは当然のことです。でもそれで、他の国を生死の崖っぷちにまで追い詰めてしまっては結局、貿易が成り立つための基本である世界平和をそこなってしまいます。この強い反省にたって戦後作られたのが、自由な貿易を促進し、貿易によるもめごとを調整する「GATT(ガット)」と呼ばれる国際的な枠組みなのです。(吉永潤)
 
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