教科書が教えない歴史
藤岡信勝/自由主義史観研究会 
産経新聞社
 

 極東に領土紛争残したルーズベルト

 日本がポツダム宣言を受け入れた直後の1945(昭和20年)8月、ソ連は北海道の東にある千島列島を占領してしまいました。これは、アメリカなどの連合国が「戦争に勝っても領土を拡大しない」と声明したことに違反します。ところがアメリカはソ連の千島占領をだまって認めてしまいました。
 実は、2月のヤルタ会談でアメリカのルーズベルト大統領とソ連のスターリン首相との間にこんなやりとりがあったのです。
 ルーズベルトは言いました。「日本を打倒するために、ソ連にもぜひ対日戦争に参加していただきたい」。スターリンがたずねます。「見返りにどんな条件をご用意いただけますか。ソ連の国民は何のために戦うのか知る必要があります」。大統領は答えました。「あなたの国が太平洋への出口を必要としていることはよくわかっています」
 こうして、米ソ二人の首脳の間で、ソ連にとって太平洋の出口となる千島列島を日本から奪う秘密の約束ができあがりました。ルーズベルトの部下は千島列島が日本の昔からの領土であると忠告しましたが、大統領は耳をかしませんでした。
 ところで、ルーズベルトはソ連と中国との間でも国境地帯で領土問題がおきるように仕かけました。中ソ両国はその後その領土をめぐって戦争をします。
 さらに驚くべきことに、ルーズベルトは1943年11月、エジプトのカイロで行われた会議で、中国の蒋介石に「沖縄をほしくありませんか」と持ちかけていました。蒋介石は「沖縄はすでに長い間、日本の領土です」といって大統領の提案を辞退しました。
 つまり、ルーズベルトは。第二次世界大戦を終えるにあたって、ソ連、中国、日本の3つの国の間に、領土をめぐる紛争が起きるように仕向けたのです。高邁な理想を説いていたルーズベルトは本当はなんと悪辣な政治家だったことか、と憤慨する人も多いでしょう。
 でも、ルーズベルトは次のように考えたに違いありません(五百旗頭真『日米戦争と戦後日本』大阪書籍より)。
 「戦争が終わり平和になっても、いずれ国同士の対立が生まれる。将来、極東の三大国が団結してアメリカをこの地域から閉め出すかもしれない。それを防ぐために二国の間に戦争のタネをまいておいた方がよい」
 ルーズベルトはアメリカの大統領です。自国民の生存と利益を守る政治家としてアメリカ国民にとってルーズベルトはすぐれた指導者だったという見方もできるのです。
 このように、一つの国、一人の政治家を簡単に「悪」と決めつける前に、いろいろな視点から歴史をながめてみてはどうでしょう。
  (藤岡信勝)
 
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