日本国紀
百田尚樹・著 幻冬舎 

 ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

 もう一つ、GHQが行なった対日占領政策の中で問題にしたいのが、日本国民に「罪の意識」を徹底的に植え付ける「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP:War Guilt Information Program)である。これはわかりやすくいえば、「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」である。
 これは日本人の精神を粉々にし、二度とアメリカに戦いを挑んでこないようにするためのものであった。東京裁判もその一つである。そして、この施策は結果的に日本人の精神を見事に破壊した。
 GHQは思想や言論を管理し、出版物の検閲を行ない、意に沿わぬ新聞や書物を発行した新聞社や出版社を厳しく処罰した。禁止項目は全部で30もあった。
 その禁止事項の第1はGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部および最高司令官)に対する批判である。2番目は東京裁判に対する批判、3番目はGHQが日本国憲法を起草したことに対する批判である。アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国、その他の連合国に対する批判も禁じられた。さらになぜか朝鮮人に対する批判も禁止事項に含まれている。占領軍兵士による犯罪の報道も禁じられた。またナショナリズムや大東亜共栄圏を評価すること、日本の戦争や戦犯を擁護することも禁じられた。新聞や雑誌にこうした記事が載れば、全面的に書き換えを命じられた。
 GHQの検閲は個人の手紙や電話にまで及んだ。進駐軍の残虐行為を手紙に書いたことで、逮捕された者もいる。スターリン時代のソ連ほどではなかったが、戦後の日本に言論の自由はまったくなかった。
 これらの検閲を、日本語が堪能でないGHQのメンバーだけで行なえたはずがない。多くの日本人協力者がいたのは公然の秘密であった。一説には4千人の日本人が関わったといわれる。
 さらにGHQは戦前に出版されていた書物を7千点以上も焚書した。
 焚書とは、支配者や政府が自分たちの意に沿わぬ、あるいは都合の悪い書物を焼却することで、これは最悪の文化破壊の一つである。秦の始皇帝とナチスが行なった焚書が知られているが、GHQの焚書も悪質さにおいてそれに勝るとも劣らないものであった。驚くべきは、これに抵抗する者には、警察力の行使が認められていたし、違反者には10年以下の懲役もしくは罰金という重罰が科せられていたことだ。
 もちろん、この焚書にも多くの日本人協力者がいた。特に大きく関与したのは、日本政府から協力要請を受けた東京大学の文学部だといわれている。同大学の文学部内には戦犯調査のための委員会もあった。この問題をその後マスメディアがまったく取り上げようとしないのは不可解である。
 検閲や焚書を含む、これらの言論弾圧は「ポツダム宣言」に違反する行為であった。「ポツダム宣言」の第10項には「言論、宗教および、思想の自由ならびに基本的人権は確立されるべきである」と記されている。つまりGHQは明白な「ポツダム宣言」違反を犯しているにもかかわらず、当時の日本人は一言の抵抗すらできなかった。
 ちなみに「大東亜戦争」という言葉も使用を禁止された。GHQは「太平洋戦争」という名称を使うことを命じ、出版物に「大東亜戦争」という言葉を使えば処罰された。この検閲は7年間続いたが、この時の恐怖が国民の心の中に深く残ったためか、70年後の現在でも、マスメディアは決して「大東亜戦争」とは表記せず、国民の多くにも「大東亜戦争」と言うのを躊躇する空気がある。いかにGHQの検閲、処罰が恐ろしかったかがわかろうというものだ。
 
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