なぜ生きる
高森顕徹・監修 明橋大二 伊藤健太郎 
1万年堂出版 

(3)「辛抱して生きつづけること」――それが人生の目的なのか?

●「なぜ生きるか」の問いに、「生きるために生きる」は意味不明

 “人生の目的は生きること”という主張を検証してみましょう。これを「忍耐して、生きつづけることが大切だ」と解釈すれば、
「そう、何ごとも辛抱が肝心。大事なのは生きること」
「一度きりの人生だから、生きることにこそ価値がある」
と共感する人も、少なくないでしょう。「人生に意味なんてあるのだろうか」と元気のない人でも、「生きている、それだけで人生には意味があるのだよ」と聞けば、慰められるのかもしれません。
 しかし、「苦しいのに、なぜ生きねばならぬのか」と悩んでいる人は、「生きることが人生の目的」と言われても、失望するだけではないでしょうか。答えになっていないからです。なぜ答えにならないのか。
 たとえば「なぜジョギングするの?」とたずねて、「体力をつけるため」と言われれば、誰でもわかりますが、「ジョギングするためにジョギングしている」と答えられたら意味不明です。「なぜ塾通いをするか」に「大学に合格するため」なら納得できても、「塾に通うために塾に通う」では、ナンセンスというほかないでしょう。
「なぜ生きるか」の問題に、「生きるために生きる」の解答は、言葉の意味からいってもおかしいのです。

●「生きてよかった」と大満足する「人生の目的」を

 私たちは、昨日から今日、今日から明日へと進みます。“光陰矢の如し”といわれるように、本当は猛スピードで走っているのかもしれません。小学、中学、高校と進学し、受験時代は死ぬほど勉強、大学に入れば死ぬほど遊ぶ、就職したら死ぬほど働く。人生の荒海に投げ込まれた瞬間から、絶えず泳ぐことが強いられます。生きるとは泳ぐことだといえましょう。
「生きるために生きる」と言い張る人は、「泳ぐために泳ぐ」と言い張る人です。流れにただよう浮き草は、あてどもなく往きつ戻りつ、やがてみずから腐ってゆきます。泳ぐために泳ぐ人の悲運は、明らかでしょう。
「飛ぶために飛ぶ」飛行機の末路と変わりません。「生きるために生きる」人生を、空の旅にたとえたなら、どうなるでしょう。
 速度や高度はどれくらいにするか、風向きの変化や気圧配置によるルート変更、エンジントラブルの対処などは、「飛び方」の選択であり、「どう飛ぶか」の工夫です。それらの前に知らねばならないのは目的地であり、「どこへ向かって飛ぶか」の方向です。行く先知らずに飛び立つパイロットは、いないでしょう。飛ぶために飛ぶ飛行機は、墜落の悲劇あるのみだからです。
 同様に、「生きてよかった」と大満足する「人生の目的」がなければ、生きれば生きるほど苦しむだけの一生に終わってしまうのではないでしょうか。
 
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