国家の大義
世界が絶賛したこの国のかたち
前野 徹・著  講談社+α新書

 織田信長の大義とは

 16世紀に入ると、蒙古襲来以上に大きい海外からの侵略の波が日本にひたひたと押し寄せてきます。15世紀末期、ヨーロッパは大航海の時代に入り、16世紀に入るとスペインが南米大陸を、ポルトガルがマレー半島のマラッカを征服し、この両国の世界支配という形で、西洋のアジア、アフリカ、アメリカ大陸侵略の幕が切って落とされました。
 日本が西洋の侵略の魔手に初めて触れたのは1543年です。この年、マカオのポルトガル船が台風に遭い、種子島に漂着し、鉄砲を伝えました。
 ポルトガルから伝わった鉄砲は、八板(やいた)金兵衛によって複製され、わずか1年の間に、火縄銃「種子島」が開発されました。その後、火縄銃はさまざまな職人の手によって改良を重ねられ、本場ヨーロッパの銃をしのぐ性能になりました。そして鉄砲伝来からわずか32年後には、織田信長が、3千人の鉄砲隊を擁して、武田軍との戦いに勝利し、天下統一に動き始めます。
 ――これは、世界初の鉄砲を使った大規模な戦争でした。
 織田信長が天下を統一するにあたって、大義としたのは「天下布武」でした。信長は当時、ことあるごとに、「国のために、天下を平定しなければならない」と主張していました。武力によって戦乱を平定し、その上で乱を未然に防ぎ、この日本に平和で豊かな社会を創り上げる――これが信長の全国制覇の大義であり、その思いを込めた言葉が「天下布武」でした。
『信長と十字架』(集英社新書)の著者、立花京子さんは、中国の古典にある「天下に武を布き静謐(せいひつ)と為す」、すなわち七徳の武という考え方をもとに考え出しだのではないかと分析しています。
 
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