国家の大義
世界が絶賛したこの国のかたち
前野 徹・著  講談社+α新書

 イエズス会に利用された信長

 鉄砲伝来から6年後、キリスト教の一宗派、イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しました。イエズス会はローマ・カトリック教会のなかでも最も戦闘的な宗派で、その真の目的は、異教徒の国の抹殺、民族の殺戮にありました。ザビエルの来日の目的も、名目上はキリスト教の布教でしたが、裏では、ローマ法王からのアジア侵略という密命に従って動いていました。
 イエズス会の宣教師たちが最初に目指したのが、信長から布教を公認してもらうことでした。その過程として、九州の有力大名の取り込みに精を出しました。この戦略は成功し、大友宗麟を味方につけ、信長に会い、キリスト教の保護を約束させます。これを機に、イエズス会の宣教師たちは急速に信長に接近するようになり、信長の心はキリスト教へと傾いていきました。
 史上、有名な信長の比叡山延暦寺の焼き討ちの背景にも、イエズス会の存在があったと指摘する研究者がいるほど、信長はキリスト教へと傾倒していきました。
 この裏には信長の功利的な考え方もあったようです。鉄砲を手に入れたとはいえ、弾薬の原料である硝石はほとんど輸入に頼っていました。イエズス会とポルトガル商人の協力がなければ、鉄砲隊を使いこなすことはできません。
 しかし、結局、イエズス会に利用されたのだと結論付けているのは、『信長と十字架』の著者、立花京子さんです。立花さんは、様々な文献を調べ、当時の信長の置かれた状況と戦国武将の動きから、本能寺の変を仕組んだのもイエズス会ではなかったかとの分析を披露しています。
 大義を掲げ、その力で目的に近づいたものの、最後まで横軸思想から脱皮できなかった――これが信長の悲劇でしだ。
 
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