国家の大義
世界が絶賛したこの国のかたち
前野 徹・著  講談社+α新書

 木っ端微塵にされた日本型経営

 日本型経営の特色のひとつは労使協調路線です。家族を単位として自然発生的に成立した国家である日本では、会社もひとつのファミリーであり、また経営者は家長であり、従業員は家族の一員でした。家族ですから、経営が苦しくても、切り捨てたりはしませんし、経営者は何よりも従業員の生活を守ろうとしました。従業員も、会社という家族の繁栄のために働く。お互いに信頼関係を結び、単にお金でつながるドライな関係などではなく、協調しながら会社を発展に導くのが日本の労使関係でした。
 だからこそ、日本経済は、短期間のうちに未曾有の成長を遂げたのです。
 日本式の終身雇用、年功序列制も、「会社は家族」という考え方から生まれています。しかし、90年代以降、この日本型経営の美風は木っ端微塵(こっぱみじん)にされました。経営者は、自らの責任は棚に上げ、経営が行き詰まると、大量のリストラを行った。そして従業員は会社に対する信頼を失った。こうして会社という家族の崩壊が起こりました。
 間接金融から直接金融へのシフトも、企業人から倫理観、道徳観を奪いました。ホリエモンの事件が象徴するように、粉飾決算をし、株主を騙しても株価をつり上げ、市場から金を吸い上げるというあくどい錬金術を考えられる人間が、あたかも優秀な経営者のように言われる時代です。
 さて、90年代から現在に至るまでの景気の低迷は、過去の不況とはまったく違うものだと、私は思っています。経済がたんに長期的に落ち込んだのではないからです。
 日本は先の戦争で、白人連合軍に軍事力で敗れた。これが第一の敗戦なら、今回は第二の敗戦です。アメリカとの経済戦争にも負け、経済占領され、戦後、わずかに継承してきた最後の日本人の魂まで壊されてしまったのです。
 勝敗を分けたのは、国なき指導者、国なき日本人と、国家の繁栄をいの一番に考えるアメリカ人との違いです。国の存続、発展を常に念頭に置くアメリカは「グローバル化」という大義を詐術として考え出し、国なき日本の指導者は、日本の大義で応戦することなく、隷属するかのように受け入れてしまいました。
 信長には、まだ「天下を統一し、世を平定する」という大義があった。平成の政治家や官僚は、大義すら思いつかない。大義のない国は、大義ある国には敵いません。それがたとえ詐術であろうと――。
 国なき指導者をいただく日本はこの先、経済戦争、思想戦争、資源戦争、民族戦争、外交戦争……いかなる戦いにも敗北を続けるでしょう。
 
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