「白人スタンダード」という
新たなる侵略
清水馨八郎・著 祥伝社 

 人は国ではなく、国語に住む

 日本人とは日本語を話す人のことだ。だから文化的には日本人と日本語は同義語である。フレンチ(French)が仏人と仏語をさすように、ジャパニーズ(Japanese)は一語で日本人と日本語をさす。日本人は日本語で話し、考え、固有の文化と民族を育んできた。日本人を日本人たらしめたアイデンティティを主張する最も確かな指標が、日本語の中に秘められている。
 その国の国語は、民族をヨコに結びつけ、過去、現在、未来の人々をタテに連結する鎖であり、文化のバックボーンである。われわれは日本語を大切に守らねばならない。人はある国に住むのでなく、ある国語に住むのだ。祖国とは国語のことである。「国語の乱れは、国の乱れ」である。日本人が日本語を失えば、日本は日本でなくなる。
 この日本語が以下述べるようにきわめてユニークな構造を持った世界で最も優れた言語であったから、日本は東洋からも西洋からも突出した経済、文化大国になれたのである。しかも世界に類似語がないということは、日本語はこの列島の中で自然に発生した神ながらの言葉と言わねばならない。
 つまり日本語は神道や天皇制と同じく、神ながらの文化なのである。最近考古学上の発見が次々なされている。青森県の大平山元遺跡から、世界最古の土器が発見され、それは1万6,500年も前のものと推定された。古代エジプト文明やバビロニア文明、ガンジス文明などユーラシア大陸発生の古代文明は、せいぜい5,000年前のものであるから、それよりはるかに古い。この古くからの文化を待ち、平和な島国に自然発生した日本語は、長い時間をかけて洗練され、神代からの大和言葉として完成していったのである。
 このような洗練された言語体系の中に育ってしまった現代日本人が、全く異なった構造と、思想の外来語に馴染めないのは当然である。
 日本人が英語下手な国民になったわけは、種々あるが、その国民性にも原因がある。それは日本人は言挙げせぬ国といって、他人の前で声高に自己を主張しないのが美徳と教えられてきたことである。常に相手の気持ち、立場を忖度(そんたく)して控え目に発言する。これが間柄を大切にする「察しの文化」「すみません文化」といわれる所以である。店に買物に入って声をかけるのに「すみません、これください」、またお金を払う時にも、「すみません、おいくらですか」と声をかける。それは他人の自由を束縛して、注意を自分の方へ向けてもらうことへの配慮からだ。
 外国人に道を尋ねられたら日本語で指さして応えればよいのに。相手の立場になって英語で説明しなければならないと思って戸惑い、田舎の人などは英語が話せないコンプレックスで外国人から逃げ出してしまうなどという笑えない話もある。これは日本人一般が、英語は国際語で上等な言葉で、日本語は遅れた田舎言葉と思い込まされているからである
 
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