「白人スタンダード」という
新たなる侵略
清水馨八郎・著 祥伝社 

 日本人が、なぜ「日本」を否定するのか

 GHQの占領政策では、日本古来の伝統、文化、風俗を否定し、「敬神崇祖」「忠君愛国」「義勇公」などの徳目も、すべて死語にしてしまった。日本人の善悪の価値は逆転させられたのだ。天皇制、家族制度が軽視、破壊され、愛国心・憂国心は悪だと教えこまれた。つまり日本的なものを否定することが善で進歩だと思いこまされてしまった。
 かつて親日家で知られる英国の陶芸家バーナード・リーチは、そんな戦後の日本を再訪して、「日本には衣食住あらゆるものが満ちている。何でもある。しかしただ一つないものがある。何かというと、それは『日本』だ」と述べた。そして「かつて日本にあった日本人としての心が、なくなっている」と深く嘆いていた。これこそ、日本人から魂を抜くために行なった占領政策の見事な成果であった。
 その果てに、世界で現代の日本ほど国旗を軽視する国も珍しい。祝祭日を“旗日”といっていた日本で、戸ごとに日の丸の挙げなくなって久しい。過日の建国記念日でも、わが町で、国旗を出したのは私の家だけで、町中を見わたしても、ほかに一本も見当たらなかった。国旗を出すと、まわりから右翼か国粋主義者と見られるのではないかと怯えているからである。日の丸は侵略の旗と、GHQに洗脳されたまま、立ち直っていない証拠だ。
 テレビでお馴染の永六輔氏は、ある学校に講演に行き、講堂に日の丸が掲げてあったのを見て、「赤は血の色、白は骨の色だ、日本軍の残虐を連想するから、旗を下ろさなければ講演しない」と宣告し、そのことを後日、自慢気に語っていた。彼ほどの時代をリードするテレビタレントが、GHQに騙されたまま、そのことに気がつかないのは残念でならない。
 国旗・国歌法が施行されているのに、学校の入学式、卒業式に「君が代」が始まると退出したり、座ったままで席を立たなかったりする教師がまだいるのが現状である。
 首相が靖国神社にお参りすることにも、各県の忠魂碑に捧げられる知事や市長の玉串料にすら批判が出るのも、占領政策で洗脳されたままの、異常な状態の表われである。
 小泉首相が8月15日に靖国神社を参拝できないのも、ブッシュ大統領が明治神宮に参拝したときに、自分だけは門前の車の中で待っていたという醜態も、すべて根は同じで、刷り込まれた歴史認識からいまだ目覚めていない証拠である。戦争の勝敗に関係なく、祖国の英霊を尊ぶのは普通の国の常識である。日本だけが謝罪国家の体質から目覚めていないのは、異常としかいいようがない。
 また日本は、国家とは人民を抑圧する悪の機関であり、国家より人権、民主を優先するのがよいと洗脳されて久しい。人権主義はエゴを助長し、一時は「一人でも反対したら橋はかけない」という美濃部式民主主義が横行した。成田闘争を代表例として満足な国際空港一つできないし、原子力船「むつ」を廃船に追い込み、国家的大事業が満足にできないのも、皆誤った戦後体制の矛盾ゆえである。日本には、アメリカン・デモクラシーは合わないのだ。戦後民主主義者が得意になって叫ぶデモクラシーとは、実は“ダマクラシー”であってアメリカにまんまと騙されていることに気がつかない気の毒な人たちである。
 このように日本は虚妄の敗戦体制の亡霊を引きずって60年、この占領軍の騙しの論理に気がつかない限り、日本国の滅亡は必至である。
 
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