白い人が仕掛けた黒い罠
高山正之・著 WAC
 
第10章 白人はいつも肚(はら)黒い 

 掠奪に加わらなかった日本軍

 戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裏の面があって初めて成立してきた。掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。
 彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。大きな街を襲うと「また2週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。
 そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。
 これはキリスト教徒も同じ。13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。
 清朝の末期、義和団の乱が起きた。日本のほか英米仏独露など8力国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林梃使に伝達している。
 戦いが終わった後、8力国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。国王ウイルヘルム二世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。
 支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。
 これが20世紀の入り口で起きた。ドイツ人も英国人も喜んで掠奪に加わった。中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。それを白人国家は当然のようにやった。
 21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。
 日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。
 こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2千人が毎晩強姦された」ことにした。それは彼らの描く戦争の形だからだ。
 しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
 
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