白い人が仕掛けた黒い罠
高山正之・著 WAC
 
第10章 白人はいつも肚(はら)黒い 

 日本の純粋さ

 日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。性の防波堤として三業地(さんぎょうち)の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。
 ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
 しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。一般の民家に押し入って女を漁った。蒋介石軍の兵士と同じだった。押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。
 この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。
 これが彼らの戦争の本当の姿になる。
 しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。前述したように残忍な報復はしなかったし、彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除した。
 上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。
 南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。
 日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。防疫と堤防の修理は日本軍がやった。
 彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。
 彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかったからだが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。
 それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。
 日本は19世紀末に世界に見参した。そしてハワイ王朝を乗っ取った米国に軍艦を出して抗議し、その翌年には支那と戦ってこれを倒した。そしてその10年後には白人国家ロシアを倒し、さらにその10年後の第一次大戦では白人の叡智の象徴である航空機を持つドイツに彼らの3倍の航空兵力で戦いを挑んでやっつけてしまった。
 しかも日本が戦う戦争は彼らの常識にない純粋さがあった。さらに衝撃だったのが日本の経営する植民地の姿だった。
 とくに満洲だ。リットン調査団は英国の元インド総督ビクター・リットン、フランスからはアルジェリア統治に関わったアンリ・クローデル植民地軍総監、ドイツからは独領東アフリカ総督ハインリッヒ・シュネーら「搾取する植民地」のベテランが満洲を見た。そして驚いた。国際連盟規約20条に「遅れた地域の民の福利厚生を図るのは(先進国の)神聖な使命だ」とある。しかし現実は後進地域の民の愚民化を進め、米英は支那、マレーシアに、フランスはベトナムに阿片を売り付け、ひたすら搾取してきた。
 しかし満洲では肥沃な大地の実りと地下資源を背景に学校が作られ、ユダヤ人スラブ人も含めた多くの民族が日本の指導のもとで自由と豊かさを満喫していた。
 植民地搾取のベテランたちは満洲自体が彼ら白人の植民地帝国主義への告発に見えたのだろう。国際連盟への報告書は日本を閉じ込め、でも満洲は白人経営でいただきましょうという趣旨で貫かれている。
 奴隷をもち、残忍な戦争をし、掠奪と強姦を喜びにしてきた国々にとって掠奪も強姦もしない、奴隷も植民地ももたない日本は煙たいどころか、存在してもらっては困る国に見えた。その伏流を見落とすと、近代史は見えてこない。
 日本対白人国家プラス支那という対立構造ができ、先の戦争が起きた。日本を制したのが中でも最も邪悪な米国であり、その米国がいま丸腰日本の保護者となっているのは歴史の皮肉というより、もはやたちの悪い冗談でしかない。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]