まえがき

 私は、生まれながらにして霊能力を授けられていた。はじめて心霊現象を体験したのは、7歳のときだった。いわゆる「死亡した」女性の霊魂を目にしたのだ。私にとってこの体験はごく自然なものだったし、怖いという気持ちは少しも起こらなかった。私は自分が見たことを、祖母のグレースに話してみた。祖母から、そのことをだれにもしゃべってはいけないと言われたときは、少し意外に思ったものだ。彼女は、人間は目に見えないものを怖がることがあるから、と説明していた。そして、私は特別の能力を授かった人間であり、神のご加護に恵まれたのだと言ってくれた。
 霊能者として本格的に仕事を始めたのは、12年前のことだ。それまでの何年間か、友人たちのために内輪でリーディングを行ったりしていたのだが、そのうわさが広まり、人生についての洞察を求める人々が、私のもとを訪れてくるようになったのだ。そのころの私は、女優と歌手を目指して奮闘中だった。だが、私の霊能力を求める人々の数がますます増えていったので、演劇の世界をあきらめることにした。
 それからというもの、五千人以上の人々が、私のもとへ面会に訪れている。ウォール街のブローカー、タイピスト、オスカー受賞俳優、電話交換手、学生、精神科医とさまざまな職種の人々だが、彼らにはひとつの共通点があった。みな、メタフィジカルな(形而上学的)見解に興味を抱いているという点だ。中でもいちばんよく話題にのぼるのが、死についてだ――病気が云々というではなく、私のメタフィジカルな観点から見た死について。
 世間では、死後の世界のことが、さまざまな情報源からそれぞれのかたちで伝えられている。たとえば臨死体験をした人々や、故人からのメッセージを導き出す能力を身につけた霊媒師などが、死後の世界からの情報を中継している。
 私自身は、臨死体験をしたこともないし、自分のことを霊媒師だと思っているわけでもない。私の洞察力は、霊視と霊聴という神聖なる能力をとおして得られるものである。その能力のおかげで、故人の魂を目にしたり、彼らからのメッセージを受け取ったりすることができるのだ。私は、あの世(物質的な人生が終わったあとで住む場所)の風景を、幼いころからこの目で見てきた。あの世からのメッセージは、さまざまなかたちで送られてくる。心霊的集中力を使ってこの世と霊界のバリアを突き抜け、アストラル・スクリーンに焦点を合わせることもよくある。このスクリーンには、霊界の様子やその住民がはっきりと映し出されるのだ。これを行うときは、私の霊的案内役であるホワイト・フェザー(白い羽根)の手を借りる。そして、数多くの故人の霊魂が私のもとを訪れてきた。私のほうから、だれかをこの世に呼び戻すことはしない。霊魂となった彼らのほうが、訪れる相手として私を選ぶのだ。また、臨死体験者からも多くのメッセージを受け取っている。霊界にいる私の友人や師からの伝言を持って、物質界に戻ってきた体験者だ。そういった伝言は、私にとって大きな救いとなるし、慰めになる。
 いままで、死を間近に迎えた人々に数多く接してきた。が、健在な人々と接する機会は、さらに多い。私は、毎日霊魂と話をしたり、霊界を見つめたまま常にトランス状態に陥っているような生活はしていない。もちろん、あの世をかいま見るという能力は、仕事上なくてはならない要素のひとつではある。だがほとんどの時間は、この世と、人間が現世で抱えている問題のほうに意識を集中しているのだ。
 人生の存続を理解することで、私たち人間は幸せへの手がかりをつかめる。人間は死ぬわけではない、通過するのだ。古くなった衣服を捨てるのと同じように、肉体を捨て去る。そして霊魂は、アストラル界すなわち霊界へと移行する。魂はその地で、さらなる経験を集める準備が整うまでのあいだ、休息を取る。そしてやがては、魂の発達を学ぶ場であるこの世に、再び誕生するというわけなのだ。私たちは、自分自身を完成させるまでこの世に何度でも戻ってくる。私たちの行動一つひとつが、現世だけでなく、このあとに続く全人生に関わってくるのだ。この世に暮らす人々はみな、自身の行動によってもたらされた状況の中で生きている。この点は、この世においても、霊界においても終始一貫して変わらない。
 私が死後の世界に関する自分自身の体験を語ろうと決心したのは、死の恐怖を乗り切るために、みなさんの力になりたいと思ったからだ。そしてまた、みなさんがこの世の尊さをかみしめられるよう、お手伝いしたいと思っている。
 懐疑心の強い方々にしてみれば、物質的あるいは論理的でないものごとを理解するのはむずかしいかもしれない。死後の世界が存在するなど、どうして確信できるのだ、と思われることだろう。
 それについては、この目で見てきたからわかるのだ、という言葉でお答えするしかない。
 たとえば、これはうるしにかぶれたのだ、と患者に診断を下す医者に向かって、私たちは疑問を差し挟めるだろうか?
 医者は、いままで目にしてきたことから知識を得ている。その経験から、うるしによるかぶれの症状を認識している。それと同じように、私も経験から、あの世の存在を認識しているのだ。
 物質界と霊界のあいだには、ほんの薄いベールが一枚あるだけだ。そしてほとんどの人間には、このベールの向こうを透かして見る霊的感覚が備わっていない。もちろんその能力を身につけている人間は、私ひとりだというわけでもない。歴史を通じて、才を授けられた霊能者や予言者が数多くいたし、現在もその数は少なくない。
 私かみなさんにお話するのは、自分が実際に目にし、耳にしたあの世の風景である。過去三十年以上にわたってアストラルースクリーン上で目にした大量のヴィジョン、霊的案内役や友人たちから聞いた話、そして臨死体験をくぐり抜けてきた人々から伝えられたメッセージなどをつなぎ合わせ、私なりに死後の世界の全体像をつくりあげてみた。
 私がこの目で確かめ、学んできたことをもとに、みなさんの目の前にあの世の全体像を描き出せたら、と思っている。その全体像を丹念に眺めてもらえれば、この本が死を取り扱ったものではなく、この世とあの世の両方の人生について語った本だということがわかってもらえるはずだ。
 
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