アメージング・グレース

 祖母のグレースは、96歳という高齢になるまで、物質界で暮らしていたが、1990年10月14日、ついに他界した。10月5日の彼女の誕生日に、私は電話をかけている。
 「お誕生日おめでとう、おばあちゃん」と私は言った。
 「これが最後の誕生日になるよ、メアリー」と彼女は答えた。
 「どうしてわかるの?」
 「なんとなくわかるのよ。とにかくあなたたちみんなにちゃんとわかっておいてもらいたいの。愛してるわよ。天国で会いましょうね」
 この会話から9日後に、祖母は眠りながら他界した。この年、他界するまでの祖母は、少々ぼけ気味だった。電話をかけても、私のことを母か妹だと勘違いすることがよくあったのだ。だが最後に言葉を交わしたときの彼女は、とてもしっかりとしていた。
 祖母のグレースは、死を恐れたことがなかった。死について、とても自然なかたちで語る人間だったのだ。霊能者だったわけではないし、メタフィジカルなものの考えをしたことなど一度もなかった。ただ、彼女の家ではすべてのことに、良識というものがいき渡っていたのだ。
 1993年1月になってやっと、私は祖母の霊に会うことができた。彼女は、私の夢の中に現れ、アイオワにある自宅のピクチャー・ウィンドウの前に置かれた緑の椅子に腰掛けていた。
 「おばあちゃん」と私は声をかけた。「なんでそんな古めかしい緑の椅子にすわってばかりいるの? 霊界には、見るべきものがたくさんあるのに、見逃しちゃうじゃない。庭園やアート・ギャラリーを見たくないの?」
 「見たいものはここから何でも見えるのよ。私はこの椅子が大好きだった。まわりで動き回っている人たちをただ眺めているのが好きなの。メイムおばさんが、ついいましがた訪ねてきてくれたのよ。彼女は長居はしないからね。いつもどおり、あちこち忙しそうにかけずり回ってるわ。メイムはいつだってじっとしていられないんだから」(メイムと祖母は、一卵性双生児の姉妹)
 私は妹のシーラとともに、祖母のグレースに育てられた。私たちがまだ小さかったころ、祖母がいつも椅子にすわって、窓の外を眺めていたのをおぼえている。彼女は看護婦として懸命に働きながら、私たちの世話をしてくれた。それにすばらしい庭を持っていて、何時間もかけて庭づくりに励んでいたものだ。そして、自分の緑の椅子に腰を下ろし、ピクチャー・ウィンドウから世の中を眺めてはくつろいでいた。祖母はよく、自分が死んだら(彼女がいつも使っていた言葉)その緑の椅子に好きなだけすわっているつもりだ、と話していた。彼女にとって、それが天国だったのだ。
 霊界を探検して回る気分にはならないようだが、祖母はとても幸せそうだった。彼女の顔は、35歳当時のものに戻っていた。しわ一本なかったのだ。
 「ディックおじさんが、毎日訪ねてきてくれるのよ。ほんとうにいい息子だわ」
 私のおじは、祖母より数年早く他界していた。おじが他界したとき、祖母はひどく心を痛めたのだ。でもいまやそのおじとも一緒にいられて、祖母はさぞかし満足していることだろう。それから彼女は、霊界で一緒に暮らしている友人一人ひとりの名前をあげ、その近況を報告してくれた。そうやってしゃべっているときの祖母は、昔、私が学校から大急ぎで帰ってきたとき見た彼女の姿そのままだった。窓際で、あの緑の椅子にすわっているとわかるだけで、私は大きな安心感を得ることができたのだ。
 この夢からさめたとき、祖母が相変わらずあの椅子にすわりながら、私を待っていてくれることを確信した。私が霊界へと移動することになるそのときを待ってくれているのだ。

 人が移行を達成させる場合の手助けの方法

 教育を受ければ、恐怖心はなくなるものだ。私自身への教えは、大おばが所有する斎場で始まった。
 ある日大おばが、ちょっと用を足しに出かけなければならないが斎場を留守にするわけにもいかないと言うので、私が電話番として送られた。最初は、真面目くさって腰を下ろし、じっと電話を見つめながら、いつ鳴るかと待ちかまえていた。でもすぐにあきてしまったので、斎場の中を見回ってみることにしたのだ。
 私はメインホールの左側にある部屋になぜか引きつけられていった。その日、その部屋では通夜が行われる予定になっていた。ふと見ると、宙にバラとライラックの花束が浮かんでいるのだ。目をぱちぱちとさせ、その幻影が消え去ればいいのに、と思ったことをおぼえている。だが花束は浮かんだままだった。そのうちに、ごくうっすらとではあるが、その花束を手にしている女性の姿が見えてきたのだ。彼女はにこやかにほほえみながら、手を振っていた。やがて彼女は花束を棺桶のわきの台に戻すと、消えていった。その部屋に入って確かめてみると、花束を持っていたのは、その棺桶の中に横たわっているのと同じ女性だった。怖いとは思わなかった。死はやはり幻想であるということがこれで確認できたのだ。すばらしいプレゼントではないか! その日以来、どんなものにも死が訪れることはない、と確信できるようになったのだ。肉体の終わりは、ひとつの経過だ。変化なのだ。物質界を去るということは、変身であって終焉ではない。
 変化は、人々をおびえさせることが多い。新しい職場、引越し、新たな人間関係には、不安がつきものだ。だがその変化に順応することさえできれば、恐怖心は消えていく。
 聖書台をたたきながら、永遠の断罪を叫ぶ伝道者たちは、少しも人の力になっていない。彼らに言わせれば、人間のちょっとした間違いも、死に値するほどの罪業となってしまうのだ。彼らは死のことを、終局判決あるいは死神と呼んでいる。
 親たちは、死について子供にうそを教えている。死の話題は、ひそひそ声で語るか、あるいはまったく触れずにいることで、子供たちを守っていると勘違いしているのだ。
 死を秘密事にしてはいけない。愛を込めて、正々堂々と語られるべきなのだ。子供たちにお行儀や、善悪の区別を教えるのと同じように、死を恐れるべきではないということを教えるべきだ。成長の前には変化が訪れるということを学んでおけば、子供たちが生きていくありとあらゆる分野の中で、彼らを支えることになる。死を日常の一過程――人生の一部分――考えれば、子供たちは死を恐れずにすむ。花や木が春に盛りを迎え、冬に休息を取るということを例として示せばよいのだ。人生を、単純かつすばらしく、的確に比喩した例だ。そして何よりも、私たち自身が死を恐れているから、子供たちと一緒に、他界の正常性を話し合えなくなっている。
 だが恐怖心というのは、外部の影響で身につけてしまうものなのだ。以前、恐怖心が「神の不在」と表現されているのを耳にしたことがある。これは実に言い当てている言葉だと思った。と言うのも、自身よりも偉大な力の存在を信じている人たちは、さほど恐怖心を抱かないし、人生の尊さを正しく認識する傾向にあるのだ。別に、特定の神を信じたり、教会にいって信者になる必要はない。万人の心の中には、より高次な自我が存在すると感じるだけで十分だ。この高次な自我が、私たちを他人への奉仕活動に向ける動機づけとなるのだ。いわば、恐怖の竜の息の根を止める兵士なのだ。

 手放す

 人生におけるもっとも大きな試練のひとつは、手放すということである。母親は、子供が自分の人生を歩んでいくよう、子離れしなければならない。あまりに長いあいだしがみついてばかりいると、その子を機能障害を持つ大人として成長させてしまうことになる。また同様に、子供のほうも――たとえ40歳になっていようが――両親の承認や依存、あるいは過去から脱却できなくなってしまうのだ。
 子離れができない親も、自立できない子供も、互いに愛し合いながらも成長できる方法を学ぶべきだ。距離をおきながら愛するということが、精神的な幸せへと道を切り開く鍵であり、手放すことを学ぶ鍵にもなる。距離をおくということと、無関心でいるということを混同してはならない。無関心でいるということは、思いやりがないということ。だがここで言う距離をおくというのは、離れていても大丈夫なほど深い思いやりを持つということだ。
 人生は、手放すことの連続だ。いや、前進の連続だと言うべきだろうか。
 よい教師は、生徒を自分のもとに引き留めようとはしない。生徒が上のクラスに進学するということが、彼の誇りなのだ。優秀なセラピストは、患者がもう自分を必要としなくなったとき、満足する。中国では、自分の患者を健康に保つ医者こそが、よい医者とされている。患者が病気になったときには、治療費を求めるようなことはしない。彼の任務は、バランスよく生きていくための手段を与えることなのだ。

 バランス

 バランスよく生きるということはすなわち、調和を保って生きるということ。調和の乱れは、あらゆるトラブルの根源となる。バランスの整った食事は――精神的にも肉体的にも――エネルギーを増し、成長を促す。バランスの欠如を感じるときは、何か解決すべき問題が生じていると警告されていることなのだ。幸せな人生とはすなわち、肉体的、感情的、精神的なつりあいがとれている人生のことである。飲みすぎ食べすぎといった過度な行動をとれば、バランスが崩れてくる。カルマの法則は、行動にはすべて反応がともなうということを教えている。言いかえれば、あなたの行動は、それに匹敵する反応によってつりあいが保たれるようになるということなのだ。たとえばあなたが他人の不幸を笑ったりすれば、やがてはあなた自身もあざ笑われる目にあうのだ。バランスとは、叡知である。
 そのバランスのひとつに、いつ手放すべきかを学ぶということも含まれている。もし私たちが、手放すべきときを見分ける能力を身につけていれば、不幸な時期をほとんど体験せずにすむはずだ。それぞれの瞬間を生きるということは、大きな喜びをもたらす。そのときどきを十分味わいながら生きていけば、過去に縛られることもない。目を前に向けることもせず、過去にしがみついてばかりいるのは、自分本位な行動とも言える。
 死は、私たちがきちんと手放せるかどうかを問う、究極の試練なのだ。それが自分自身の移行であろうと、愛する人間の移行であろうと、とにかく死というのは、人生の中でもっとも重要な前進なのである。

 喪失

 だれだって、愛する人を失いたくはない。別離は、しんみりとした悲しみなどというものではなく、苦悶であることが多い。失ったものが恋愛であれ、夢であれ、他界した最愛の人間であれ、私たちは苦しみを味わうことになる。
 愛する人間が、部屋にだれもいないときに他界するということがよくある。そんなとき遺族は、こう言って嘆き悲しむ。「信じられない。ほんの一瞬部屋を離れただけなのに、そのときに限って母が他界してしまうなんて。何で一緒にいてあげられなかったんだろう?」
 実際は、こういうことなのだ。霊界へ移行しようとする人間は、この世を去らないでくれと願う愛する人間の思いのために、物質界に縛りつけられる場合がある。悲嘆の力というのは、霊界への移行準備が整った人間にとって、非常にやっかいなものとなることがあるのだ。
 愛する人間から送られてくる強烈な思いは、人を必要以上に長いあいだ物質界にとどめてしまう。死にゆく人間というのは、その人を手放したくないと願う人々の悲しみを感じ取ってしまうものなのだ。死際にある人にしてみれば、この世を去ることで、自分を愛している人間を傷つけたくないので、何とかとどまろうとしてしまう。
 この気持ち――愛する人間を自分のもとにとどめておきたいという私たちの願望――が、闘病中の肉体的悪化を引き起こす大きな原因なのだ。だから愛する人間が悲しみとともに部屋を離れてくれれば、死にゆく人もこっそりと去りやすい。私たちは、愛する人間に対して、去っても構わないと言ってあげなければならないのだ。
 人生には、手放すという術を磨く機会がたくさんある。人間の究極の無我の行為とは、その時がきたとき、愛する人間に自ら別れを告げるということだ。
 さようならを言うのは決して簡単なことではない。だがとても自然なことだ。別れを言うということはつまり、愛する人間を物質界の苦しみから解放させてあげるということなのだという点を、よく理解する必要がある。それは、とても気高く、奉仕精神に満ちた行為なのだ。
 愛する人間を抱きしめ、自分がその人を愛し、恋しく思うと告げると同時に、それでも自分は元気にやっていけるということを話してあげてほしい。そうすることで、その人はずっと楽に他界できるようになるのだ。相手の立場になって考えてみればわかるはずだ。あなたのことを心配するあまり、愛する人間がこの世に踏みとどまってしまう、ということはあってはならない。あなたが相手に、去っても構わないと言ってあげるだけで、移行はかなり楽なものになる。

 
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