第二章 因果応報

 私たちの行動すべては、現世と来世に直接影響を与えることになる。ある人が罪を犯し、現世では捕まらなかったとしても、その罪が見逃されるということはありえない。つぎの人生になるかもしれないが、とにかくその人の行動にはきちんと見返りがくることになる。それがカルマだ。
 カルマとは、原因と結果の法則のこと。それは、現世も含めたいままでの全人生における行動を総括したものだ。カルマは、個人がとった行動の結果として、私たち一人ひとりにはねかえってくる。自分が人に与えた傷のために、今度は自分が苦しむはめになることもあれば、他人に与えた幸せが、自分に返ってくることもある。私たちの身に起こることはすべて、普遍的な公正さを反映しているのだ。だれもが、自分自身で勝ち得た場所で生きている。これは、物質界、精神界、霊界すべてに共通することである。
 輪廻転生というのは、この世における人生は一度だけではなく何度も繰り返されるということを意味する。私たちは、努力によって自己を完成させるまで、この世という界層に戻り続けるのだ。完成させるということは、完全に無我の状態になること。物質的な喜びを求める願望がすべて、全面的な献身に取って代わり、人類に奉仕するようになるということだ。その状態にいきつくまでには、いくつもの人生を経験しなければならない。完全な調和がとれるまでのあいだ、カルマの法則が私たちをこの世に引き戻し続ける。カルマと輪廻転生は、お互いに欠くことのできない概念なのだ。
 成長の速度を決めるのは、各個人の魂だ。中には、よりたやすく欲望の束縛を解くことができる魂もあるだろう。物質の喜びが一時的なものだということを理解しさえすれば、私たちは真の喜び、つまり知識の喜びへと目を向ける。知識に対する渇望は、何か物質的なものをのめばいやされるというものではない。物質的な対象物は、その美しさゆえに楽しむことができる。だが経験から得た知識は、離れて人を愛するということ、何かをあてにすることなく楽しむということ、それぞれの瞬間に愛着をもって生きるということが、人を真の幸福に導くということを教えてくれる。

 進歩の段階

 何年にもわたって、自分はこの世での最後の人生を歩んでいるんだと豪語する人たちに、数多く会ってきた。だが私がつぎのような質問を投げかけると、彼らは大いに腹を立てるのだ。

 すべての言語を話せますか?
 自分の感情を、完全にコントロールできますか?
 自分の意志で、肉体を遊離することができますか?
 どんなときの動機も、完全に無欲なものだと言えますか?
 個人的な富への欲望を克服しましたか?
 完璧な健康体ですか?

 これらは、熟達者になる必須条件のほんの一部にすぎない。自分自身を完璧に熟達させれば、もうこの世に戻ってくる必要はなくなる。そのときには、カルマもすっかりバランスがとれ、個人的な富や満足への欲望も、すべて人類への奉仕に対する無欲な動機へと変わっているはずだ。ここでは、この高度に進歩した意識の状態について、あれこれと論じても仕方がないだろう。ただひとつおぼえておいてほしいのは、ほとんどの人間には、まだまだ多くの進歩が待ち受けているということだ――だから、いまの人生の教訓に、十分注意を払っておくほうがいい。 肉体的、感情的成長はすべて、この世で行われる。私たちが経験するそれぞれの人生は、魂が学ぶための場なのだ。辛苦一つひとつが、それを乗り越え、最終的には自己を完成させるために直面する試練なのだ。輪廻転生のおかげで、この教育は人生から人生へと繰り返し続けられる。霊魂は、自身をさらに進歩させるため、肉体に宿るのだ。生まれ変わるまでの時間は、人によってさまざまだ。魂の発達が高まれば高まるほど、この世に戻るまでのあいだ、ゆっくりと待つことが許される。だが中には例外もある。たとえば、世界を救うために必要な仕事をこなすため、進歩した魂がすぐさまこの世へと戻される場合があるのだ。個人のカルマは、輪廻転生の全段階にかかわってくる。それぞれのカルマは、その魂の前世の経験に見合った、あるいは現世の試練をくぐり抜けるのに必要な、家族、国、性、肉体を選んで魂を送り込む。
 自己の完成に、近道などない。悟りの境地に至るのに、簡単な道のりなど存在しないのだ。その過程の大部分は、つらく苦しいものだ。私たちはみな、自分自身の選択によって勝ち得た経験を引きつけることによって、試されているのだ。苦痛は、解決すべき問題が存在していることを教えてくれる。人生とは、魂の改良を模索する研究室のような場所だ。人間は、あらゆる経験を楽しく味わいながら、そこから学び、いまの人生を最高のものにしなければならないのだ。

 これが私のカルマなのだから

 「これが私のカルマなのだから」というのは、自分の選択に対する責任を逃れようとする人たちが、よく唱える言葉だ。現世で私たちの身に起きる出来事の多くは、確かに前世における行動の結果ではあるが、良識の欠如の口実としてカルマを引っ張り出してはいけない。

 ジョディの場合

 ジョディは、既婚男性とばかり関係を持ち続けていた。いつまでたっても、所帯持ちの男ばかりを選んでしまうのだ。泣きながら私のもとを訪れた彼女は、こう言った。「何だって私のカルマはこうなの?」
 私は彼女に、これはカルマの問題ではなく、心理的な問題だと説明した。彼女に必要なのは、そのマンネリ化されたパターンを打ち破る手助けをしてくれる優秀なセラピストだった。彼女は、自分が賢い選択をできずにいることをカルマのせいにしていたのだ。実際のところその選択権は、彼女の手中にあったというのに。
 「たぶん、既婚男性に引きつけられて試されるというのは、あなたのカルマでしょうね。あなたの精神力で、このパターンを打ち破れるようになれば、もう繰り返すこともないはずよ。その力を備えれば、あなたのまわりのバイブレーションが変わって、いままでとは違った人間関係に引きつけられるようになるわ」と私は説明した。
 ほかの多くの人たち同様、ジョディもカルマのことを勘違いしていたのだ。自分に与えられた「宿命」に、ひたすら身を任すしかないのだと信じて。実際のところ、男性問題を乗り越えなければならないというのは、彼女のカルマではある。
 たとえば、もしあなたがアルコール依存症だとしたら、この人生をとおして飲み続けるのがあなたのカルマだと言えるだろうか? あるいは、その悪癖を乗り越え、新たなプラスのカルマを生み出させるために、あなたに課された試練なのだろうか? 過去の行動を取り消すことはできないが、それを償うことはできる。新たなよいカルマを生み出すことで、前進できるということなのだ。私たちは、肉体にいるあいだに、肉体的、感情的問題を乗り越えなければならない。飲みすぎ、働きすぎ、火遊びのしすぎなど、過度な行動に走ると、バランスが崩れて しまう。人生は私たちに、よいものであれ悪いものであれ過去の行動のバランスをとる機会を差し出してくるのだ。物質界から霊界へと移行したとき、もしあなたが何かの悪癖に染まっていれば、それを乗り越えるまでのあいだはその問題を抱えたままこの世に生まれ変わることになる。
 裕福なクライアントの中には、前世でよい行いをしたおかげで金持ちになれたのだと考える人がいるが、そんな人たちには、こう話すことにしている。「金持ちだからといって、必ずしも恵まれているとは限りません。セラピストのオフィスでは、有閑階級の絶望感というのが常に話題にのぼっています。過度のお金を手にすると、価値観を失ったり、持ち物すべてに飽きてしまうということから、ドラッグに手を染める場合も多く出てきます。お金というのは、その使い道によっては、天の賜物とも、災いともなりえるのです。人間は、過去の行動によって引き寄せた環境に生まれます。問題はその人間性であって、いくらお金を持っているかということではありません。あの世には銀行なんてないのですから。もちろん、快適な生活を送るというのは悪いことではありません。でも他人の窮乏を、自分より恵まれていないと考えるのは間違っています。食料や寝る場を必要とする人たちに救いの手を差し伸べるのは、私たち全員のカルマなのです。私たちみなが気づくべき集団的カルマというものがあり、地球上のアンバランスについては、みんなが同じように責任があるのです。私たち一人ひとりが、それぞれの環境内で手を差し伸べることができるはずです。政府を指揮することで救える人もいるでしょうし、自分たちで食料を育てるよう教えてあげる人もいるでしょう。あるいは、古着のコートを貧窮者に与えることで救おうという人もいます。貢献の大きさは関係ないのです。自分の能力の範囲内で救いの手を差し伸べるだけで十分ですし、それだけで大きな効果を生み出せます。あなたの寛大な行為ひとつが、ある人の人生を軌道に乗せるはずみになるかもしれないのですから」
 あなた自身のカルマに対処するのと同じように、あなたには、この地球の未来を築き上げるために手を差し出す力があるはずなのだ。

 カルマと、霊界における位置

 霊界に入るとき、私たちはこの世での行動を通じて勝ち得た場所に到着する。だからこの世で、肉体的、感情的問題に努力して取り組まなければならないのだ。あなたの人間性は、肉体とともに崩壊してしまうわけではない。霊界についたときも、あなたは肉体を離れたときと同じあなたのままだ。だから、できる限りこの世で成長を遂げる努力をしたほうがいい。
 中には、あの世についた瞬間に、心にやさしさと喜びが満たされると考えている人たちがいる。だがそれは大きな間違いだ! 怒りに満ちたままこの世を去った人間は、そのままの状態でアストラル界へと到着する。その人間は、怒りが消え去るまでのあいだは、同じように怒りっぽい人たちに囲まれて過ごすことになるのだ。物質界で嫉妬にとりつかれていた人も、同じようなかたちで霊界へと入ってくる。だがこの世で善良だった人は、霊界でも善良だ。その人の場合、同じように善良な人々に囲まれて暮らすことになる。
 あなたの人間性は、物質界で形成される。その規模は、恐れ入るほどのものだ。だが生命は、肉体という殻が除去されても終わりはしない。「他人に尽くせ」というのは、とても大切な戒律なのだ。あなたは、自分が与えたのと同じ待遇を他人から受けることになる。いますぐにでも、自分の行動に注意を払ったほうがいい。行動する前に考えるようにすれば、より賢い選択ができるだろう。
 それでも、人生は存続するということを知っていれば、安心できるはずだ。その安心がなかったら、自分の行動を逐一調べ、一覧表でもつくらずにはいられなくなってしまうだろう。
 
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