ついに、来た 第四の国難
前野 徹・著  扶桑社文庫
2004年3月刊
 
 
 
  亡国の足音

  今、みなさんの多くが底知れぬ不安感やえもいわれぬ焦燥感を抱いているのではあるまいか。私の周囲でも「もう日本はだめかもしれない」とため息をつく人が増えている。不気味で異常な大閉塞感が日本を覆っている。
  船が沈没する前に、ネズミが逃げるという話は有名だ。ネズミは、自分の身に迫る危機を本能的に感じて回避しようとする。日本人が今感じている大閉塞感も、国が崩壊していく予兆を私たちの体や心が本能的に察知しているからだ、と私は思っている。足もとがガラガラと崩れ落ちていく不安といおうか。だが、私たちはネズミと違って、国からは逃げ出すことはできない。
  しかも戦後の日本人は、一度も国家を真正面から見据えて来なかったために、国家観や国家としての目標を持ちえていないので、自分たちの不安の正体もわからない。どのようにすればこの不安感を取り除けるのか、皆目検討がつかない。ゆえに本能的に察知している国家の危機は、曖昧模糊とした不気味な閉塞感となって私たちを襲っている。
  下げ止まりのない景気後退、約5%の失業率、バブル前の水準まで下落した株価、連日のように報道される凄惨な事件、荒れる青年、母親と子供たち‥‥これらは亡国現象の一面に過ぎない。なぜ、このような現象がドミノ倒しのように起きているのか。私たちはその本質をしっかり見つめる必要がある。

アメリカ金融勢力に乗っ取られた日本経済

  アメリカ追随政治、アメリカ制定憲法によって、今や日本経済はアメリカ金融勢力に半分乗っ取られている。
  国際未来科学研究所の浜田和幸さんの調べでは、「2001年年頭の時点で、日本企業を買収対象とするファンドや金融機関は25を超えている」、「日本市場に上場され株式公開されている企業のうち、外国人の持ち株比率が25%を超える企業は100社近くあり、その数は年々増えている。東京市場では、売買高の50%以上を外国人投資家が占めているありさまで、まさしく、外国人投資家に生殺与奪の権を握られている日本企業が多くなっている」(『乗っ取られる大国・日本』祥伝社刊)

 道義が地に堕ちたニッポンの惨状

  フリーターが激増している。(中略)フリーターにははっきりした定義はないが、労働白書では「パートでアルバイトをする学生ではない人々、女性は未婚」といった条件をつけている。その数はこの17年間で実に3倍に膨れあがり、1997年の時点で155万人に達し、現在は200万人に迫っており、将来も増え続けていくだろうと分析されている。
  なぜフリーターがこれほどものすごい勢いで増え続けているのか。若者に蔓延している無気力、無目的の人生行き当たりばったりの人生観のせいである。
  働くことに意義を見出せず、いったい何のために生きているのかもわからない。かといって、戦後豊かになった日本の家庭で育った彼らは、物質的には学生の頃から恵まれていて、せっぱ詰まった生活環境にはない。だったら、その日さえしのいで、楽しく暮らせればいいではないか、と考える若者が増えている。
  では、どうしてこのような働く意欲もなく人生の目的も持ちえない若者が量産されているのかといえば、戦後の日本社会に原因があると指摘する識者が少なくない。
  戦後の進歩派と称する知識人や文化人は、自立した人間を育成するのだと主張し、国の意識や国としての独立、尊厳を顧みず、ひたすら個人の権利を尊重する方向に突き進んできた。その結果、わがままで他人への依存心が強い若者が続々と生まれ、皮肉なことに、自立どころか生きる気力すら持てない屍のような若者が街にあふれている。

  戦後の官僚政治家たちが、GHQの占領政策に身をゆだね、教育制度も日本人の精神のあり方もアメリカに言われるままに作り直してきた結果、日本と日本人の自立が損なわれ、甘えと欺瞞を助長してきた。
  かくして、かつて日本人の美風であった礼節、勤勉性、忍耐心、公徳心、名誉を守る信条、勇気といった固有の心と魂が雲散霧消してしまった。かわって、今の若者たちも大人たちも持っているのは、自分さえよければそれでいいという私利私欲主義、目前の損得主義である。
  と同時に、国家観を失った日本人にとって、社会の夢と自分たちの夢が乖離し、日本人としての生きる目的を社会の中には見出せなくなった。個々で夢を探せといっても、夢は本来、社会との関係性の中にある。結局、行き着く先は自分がよければとなってしまい、これがまた利己的な行動に結びついていく。
  不登校の児童、生徒が増加しているのも根は同じである。自国の歴史と自分たちの祖先にプライドも尊敬の念も持てない親たちに育てられた子供たちが、まともに勉強し、周囲の人々と交わりたいと思うはずがない。

  今日、日本で毎日のように繰り広げられている惨劇は目を覆うばかりである。酒鬼薔薇事件が起こり、われわれを震撼させたのはわずか6年ほど前だ。以来、新聞を開ければ連日のように、少年や両親による殺伐とした事件が報道されている。親殺し、子殺し、通り魔殺人事件、幼児虐待‥‥。病院では何の罪もない患者が、腹いせのために殺害され、道を歩いている無関係の人まで、むしゃくしゃしたというだけの理由で巻き添えになる。
  日本人の道義は地に堕ち、今や凄惨な事件にもわれわれは不感症にすらなりつつある。動物でさえ、親子の愛情は山よりも高く海よりも深い。現在の日本人は畜生以下である。私の知る限り、過去に日本民族の精神がここまで破壊されたという歴史はない。

 無日日本人の登場

  日教組による、過去の日本を卑しめる偏向教育は戦後生まれの人々を反日日本人に仕立て上げた。国家に反逆するのが当たり前で、悪である国は何が何でも潰さなければならないという誤った価値観で、30数年ほど前、全共闘による学生運動が盛り上がった。
  その反日日本人が今は親の世代である。彼らが子供たちに、国を大切にしろ、公のルールは守れと教えるだろうか。教えないに決まっている。
  今の40代前半あたりまでの世代は、学校でも家庭でも、過去の日本人は極悪非道の国で、自分たちの先祖はアジアの国々の人々に残虐行為を行った野蛮人だったと教え込まれ続けてきた。自分たちの育つ祖国や先祖を否定する。これはとりもなおさず、自分という存在を否定していることにほかならない。しかし、人間は自己否定では生きられない。子供たちは自己防衛の手段として、国を考えることをやめた。そして、自虐史観が深まった反作用として生まれたのが、国籍だけは日本だが、日本人ではない「無日日本人」である。

  日本人と無日日本人の違いは何か。私は日本の歴史と文化を尊重するかしないかで一線が引かれると考えている。無日日本人の「無日」とは、すなわち日本がない、日本の国民としてのアイデンティティを持たない人間を私流に定義した言葉である。
  わかりやすく言えば、国に無関心、政治に無関心、周囲の人間の気持ちに無関心な人々で、国家観や民族を軸とするアイデンティティがないので、自分が何者かもわからない。だから生き甲斐もなければ、何のために生きているのかさえもわかっていないし、そもそも国や自分や社会が何かを考えてみたこともない。そこにあるのは動物的な本能と欲望だけである。
  今60代以上の人々の親は、戦前・戦中を体験している。昭和45(1970)年以前は、学校でいくら反日思想を吹き込まれても、家庭にはまだ日本のよき伝統、よき価値観が残っていた。だからこそ、全共闘世代はそれを打ち破るために反日になりえた。ところが、反日日本人の家庭で育った30代以下の人々は反日日本人にさえなれず、自分たちを無日日本人にすることによって、自己否定という道から逃れた。
  私は現在、この無日日本人は数千万人の規模に膨れあがっているとみている。わずかに私学に通う一部の子供たちを除けば、10代以下は常識的な家庭に育っている子も含めて、ほとんど無日日本人だ。その数は既に国民の3分の1近くに達しているというのが私の実感だ。

  無日日本人はそもそも国という概念は自分たちの考えにないのだから、政治には関心がない。だから、選挙は棄権する。当然、故郷を愛する気持ちもない。親も認めないし、親孝行も認めない。公の秩序など考えたこともない。自分の欲望だけが価値基準である。日本の戦後の病理はここまで進んでしまったのか、と私はため息をつく。戦後のつけがこのような形で現れようとは。
  世の政治家や識者は、無日日本人に寛容で日本の将来を楽観視しているが、私には由々しき一大事が進行しているとしか思えない。

  17歳の少年犯罪が大きな社会問題となったが、無日日本人という視点に立てば、不思議でも何でもない。その日暮らしのフリーターや暴走族が激増しているのも、親殺し、子殺し、幼児虐待、保険金殺人、バラバラ死体殺人事件といった、一昔前までは考えられなかった凄惨な事件が日々起きているのも、無日日本人があふれているからである。
  今社会問題となっている暴走族や、社会に順応できず家庭から出られない「引きこもり青年」の増加も、典型的な無日化現象の一つだと私は見ている。「引きこもり」は、すでに80万人にも達しているというが、今後も増えることはあっても減ることはないだろう。
  戦後教育を受けた50代以下の人々の大半がすでに反日、無日とすれば、有権者の7割近くが無日日本人であり、反日日本人になっている計算になる。反日日本人が社会のトップに立ち、無日日本人が社会の中堅になってきた。かつて私の知る日本民族は2割ほどしかいないように感じている。民族意識のない、世界でも類例のない民族になってしまった。私は日本の将来が空恐ろしい。

 現世利益に終始した戦後の日本社会

  今、政界、官界は数々の汚職事件に象徴されるように、腐敗にまみれている。
  甚だしきは官僚である。汚職はしないにしても、組織ぐるみで甘い汁を吸い続けている。民間は不景気に苦しんでいるというのに、5百万人近くの役人たちは、70歳まで最低3カ所に天下りを繰り返し、1億円を超える退職金を手にしているだけでも告発に値する。(中略)
  さらに許し難いことに、日本を脱出しようと計画している官僚OBがたくさんいる。「日本はもうダメだ。国として立ちゆかない」とわかっているからである。では、そんな日本にしたのは誰か。ほかならぬ彼らではないか。
  日本の秀才が集まる官僚組織である。もちろん、彼らは現役時代から、将来日本は行き詰まるであろうことは予測がついていた。しかし、身の保全を図り、分不相応な退職金をもらわんがために、それを国民には隠し、今、リタイアの生活を楽しんでいる。そして、いよいよ日本が危ないとなると、今度はお先に海外脱出なのである。国賊と言ってもいい彼らの私利私欲主義に、私ははらわたが煮えくり返る。

  遊ぶ金ほしさに通りがかりの人間を襲う若者、売春をする女子高生、親は保険金目当てで子供を殺し、むしゃくしゃするだけで何の関係もない他人を殺す者もいる。
  本来、人の心を救わねばならない宗教も現世利益を優先し、詐欺まがいで問題になる新興宗教も後を絶たない。来世利益はどこかに置き忘れられている。
  これが戦後60年、日本が培ってきた民主主義の哀れな末路である。戦後の民主主義は、歴史や伝統、先祖、社会の成り立ちといった「縦軸」を無視し、個人の権利ばかりを主張する「横軸」に終始してきた。
  この横軸民主主義が欲望だけを膨らます人間を育て、現在のような殺伐とした社会を醸成してしまった。金のためなら何でもやる。他人への思いやりや、やさしさのかけらもない、金の亡者が巷にはあふれている。
  われわれの先人たちが血と汗と涙で築き上げ、継承してきた礼節を知る心、勤勉性、忍耐心、公徳心といった日本人の心と魂は、戦後60年日本を支配してきた文明、欲望横軸民主主義、悪平等無責任主義、問題先送り主義などによってすっかり排除されてしまった。

 誤れる戦後文明病からの脱却

  国難突破、日本の甦りの大きな鍵は、誤れる戦後文明病からの脱却である。
  今、日本を覆う閉塞感は、経済不況のせいといった生やさしいものではない。戦後文明の限界がここに来て噴出し、戦後文明の瓦解に差し掛かっていることへの不安がこの閉塞感を生んでいる。
  GHQが作り上げた戦後文明は、経済成長こそもたらしたが、それは単に日本という国の崩壊への一里塚でしかなかった。戦後60年近く経って、今、日本は断末魔のうめき声をあげている。

  京都大学の中西輝政教授は、戦後文明病の病巣を「バランス」という観点から捉えて次の3つに分析している。
  ひとつは「心」と「物」のバランス。日本は驚異的な経済成長を遂げたが、国民の中から「心」、人間本来の魂が欠落した。80年代になると、日本の物質文明は世界一になり、これ以上の豊かさがはたして必要かといったところまで来たが、その後も拝金主義は改まるどころか、すべて金で解決しようという風潮がさらに進んだ。「心と物のバランスを失うと、必ず人間は滅びていく」と中西教授は語っている。

  2つ目のバランス崩壊は「伝統」と「進歩」。本来、この2つは人間社会に必要なものだが、戦後社会は進歩だけをありがたがって、伝統はなおざりにしてきた。これについては、何度も指摘してきた通り、「日本の伝統は悪」という占領政策に起因している。

  3つ目は「個人」と「共同体」。共同体は国家や社会という言葉に置き換えられるだろう。戦後、日本的な集団は全部悪い、個人を抑圧するという理由で国家や社会は敵対するものという考え方が根付いている。だが、中西教授によれば、「しかし、個人を幸せにするのも、人と人との絆なんです。あるいは共同体に所属していることの喜び、その中でしか人間は真の自由を享受できないのに、全部断ち切って裸の個人になった砂漠の自由、そんなものはだれも求める自由ではありません」。

  個のみを尊重し、国家や社会を顧みない戦後文明は、拝金主義、横軸欲望民主主義を生み出し、ついには無日日本人を作り上げてしまった。この戦後文明病をどう治療していくか。原点に戻って考え、パラダイムを一から作り直し、まったく新しい文明にシフトしていくしか方法はないのでは、と私は考えている。
  今の文明を一部手直しして、ソフトランディングで国の基軸を修正するという小手先の対策では、手遅れになってしまう。過激なようだが、今の文明を肯定して滅びを待つのか、それとも否定して新しく文明を作るのか、この二者択一でどちらかの運命を選ぶしか道はない。

 2015年、日本消滅説の中国・李鵬前首相

  まだ日本の経済が今ほど落ち込んでいない9年ほど前、日本滅亡を示唆した大予言者がいる。中国の李鵬前首相である。当時、首相だった李鵬氏は、1995年、豪州を訪問したおり、ハワード豪首相に、「日本など20年も経ったら、この地球上から消えてなくなる」との発言をし、物議を醸した。オーストラリアのハワード政権は社会党左派政権で、たぶん、身内意識もあって思わずポロリと本音が出てしまったのだろう。
  日本の識者は、この李鵬発言に、失礼千万と騒いだが、今となっては彼の見通しの方が確かだったと言わねばならない。李鵬前首相が、日本が地球上から消滅するとして予想したのは2015年である。
  日本の現状を見ていると、はたしてあと10年持つかどうか。李鵬予言さえ、まだ甘かったような気がしてくる。

  おそらく、李鵬前首相は、アメリカ一辺倒で骨の髄まで改造されつつある日本人の精神構造、伝統文化の喪失と国家・国益観を失った日本人全体を指して、もってせいぜい20年と述べたのではないか。日本の凋落の予兆を日本人の精神腐敗に見て、ああいう発言をしたのではあるまいか。
  李鵬氏の真意は今となってはわからないが、彼の予言通り、日本が国家滅亡に向かって加速度を増しているのは事実である。

 後生に光り輝く日本を

  日本が亡国の危機に直面していると言っても、大半の人が信じないのではないかという危惧を感じながら、今、筆を執っている。実は、それがもっとも大きな危機であるとも言える。
  危機が迫っているのに、危機を感じない。京大教授・中西輝政氏は、その原因を見事に喝破している。

  「危機感がない」原因として考えられるのは、戦後の日本人の中に占領政策といいますか、このままアメリカがあつらえた憲法とか教育理念を後生大事に続けていれば、いずれ日本国・日本国民の精神はなくなってしまうという危機意識をもっている人たちが多くいるにもかかわらず、前に立ちはだかる「タブー」の大きさに怯えてしまっていること。戦後日本の特殊な政治、社会、経済の価値観について民族としての自覚をもって危機を唱えられない、子孫に伝えられないということがあります

  日教組の誤った教育をセーブできず、無日日本人のあふれる日本にしてしまったわれわれの世代の責任は大きい。今の50代以下の人々や孫の世代から「こんな日本にして」と責められても仕方がないと思っている。
  無日日本人にしてしまった若い人々にも、謝罪しなければならないと思っている。日本の精神が土台から腐るまで放置しておいた責任を今、私はヒシヒシと感じている。
  日本という国家の崩壊は、止めようのない激しい濁流となって日本民族を飲み込もうとしている。民族の融解は、もはや完遂段階まで来ているのかもしれない。日本は明らかに亡国の道を走り出している。ここでわれわれがいくら意を決したところで、徒労に終わる可能性も高い。
  なら、そんな無駄なことをせず、左うちわで残り少ない余生を謳歌したほうがずっと利口ではないか、という忠告が私の周囲からも聞こえてくる。しかし、この先、我が祖国が、我が日本民族が消滅しようとも、生きている限りせめて真実の声は残しておかねばならないと思っている。
  亡国の足音はひたひたと押し寄せている。日本崩壊の地鳴りが聞こえる。民族の滅亡の危機が、「第四の国難」の危機がすぐそこまで迫っている。

★ なわ・ふみひとのコメント ★
  著者は現在の日本が直面している危機を「第四の国難」と表現しています。
  わが国はいま、蒙古襲来、明治維新、敗戦に匹敵する危急存亡の時を迎えているという認識です。私も共感するところ大ですが、このような意見を堂々と述べられる人は大変少なくなっています。大新聞を軸としたマスコミの偏向報道と、教育の現場における誤った指導が、いま日本社会の崩壊に拍車をかけています。
  しかしながら、その中にいる私たちに危機の認識はあまりないようです(そのことが真の危機なのです)。それは、あたかも法華経に出てくる「火宅の人」にも似ています。家の周りが火に囲まれているのに、遊びに夢中になっていてそれに気がつかないのです。その遊びとは、お金持ちになるゲーム、有名人になるゲームといったところでしょう。
  ここに抜粋した内容だけでは、著者の語りたいところの核心は伝わらないかも知れません。ぜひ書籍を購入してのご一読をお勧めします。
  
 
★ なわ・ふみひとのコメント ★
 著者は現在の日本が直面している危機を「第四の国難」と表現しています。
 わが国はいま、蒙古襲来、明治維新、敗戦に匹敵する危急存亡の時を迎えているという認識です。私も共感するところ大ですが、このような意見を堂々と述べられる人は大変少なくなっています。大新聞を軸としたマスコミの偏向報道と、教育の現場における誤った指導が、いま日本社会の崩壊に拍車をかけています。
 しかしながら、その中にいる私たちに危機の認識はあまりないようです(そのことが真の危機なのです)。それは、あたかも法華経に出てくる「火宅の人」にも似ています。家の周りが火に囲まれているのに、遊びに夢中になっていてそれに気がつかないのです。その遊びとは、お金持ちになるゲーム、有名人になるゲームといったところでしょう。
 ここに抜粋した内容だけでは、著者の語りたいところの核心は伝わらないかも知れません。ぜひ書籍を購入してのご一読をお勧めします。
 
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