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 心と生き方
稲盛和夫・述 
京セラコミュニケーションシステム編 PHP
 
 災難をも感謝の念で受け止める

 
災難をどう受け止めるか
 もう1つ。さきほど「思念は業をつくる」と言いました。
 輪廻転生、前世を信じない、来世も信じないという人、それはそれで結構です。その人は現世だけで結構です。「私は生きているこの現実しか信じない」という人は、それでもいい。ただ、この現世において思ったこと、やったこと、それが業をつくるということだけは、知っておいていただきたい。
 先に述べたように、業をつくることにつながるいちばんは、思念ですが、実行したことも、もちろん業をつくるんです。そして、その業が、運命というものを決めていくわけです。つくった業は、必ず現れなければならないのです。つくった業が現れるということが、つまり運命です。われわれの運命をつくっていくのです。
 人間というのは、とかくどこかでつまずきます。これは、現世のいまを生きているあなたには関係ないんだけれども、あなたが知らない過去、世の中でつくった因縁、または業によって、どんなことが起こるかわからないわけです。それを、一般には「災難」と、こう言うわけです。
 そして、その災難というのは避けようがありません。それを避けるためには、現世に生きているときに善きことを思うしかないのですが、しかしそれでも、いくらやっても、過去の業の深さによっては、それは避けられずに出てきてしまうものなのです。
 じつは、その災難に遭ったときに、人間の価値が決まるんです。
 災難に遭うと、みんなのたうち回るわけです。新聞を毎日見ておられればわかるように、人生、さまざまな現象が起こってきます。それは、その本人に責任があり、罪があるものもいくらもありますが、じつは、それとは関係なしに、そういう災難に見舞われることもあります。そのときにどう処置するかということが、大変な問題です。そういう災難に遭ったときの身の処し方ができていないために、さらに事態が悪化していくということになってしまうのです。

 
これで、過去の業が消える
 だいたいですね、つまずきますと、そのつまずきが、さらにつまずきを起こしていくことになります。これを防ぐにはどうしたらよいか。「秘伝の秘」ですけれど、みなさんにお教えします。
 それは、大きな災難でなくても、小さな災難でもいい。災難と名のつくようなものでなくてもいい。病気でも結構です。そういうのが起こってきたとき、それを喜ぶことなんです。心から喜ぶのは無理かもしれませんが、せめて喜ぼうと思うんです。
 それはなぜかというと―理由がなかったら喜べませんね―それは、業が消えるときだからなんです。いいですか。過去につくった業が消えるときに災難が現れるわけです。現れるということは、つまり「済み」なんです。過去につくった業は、消えるためには表に出なければならない。隠されている間は、業は消えていかないのです。
 たとえば大病を病む。「よかった、この程度の病気で終わるなら、手術をして命をとりとめただけでもよかった」と喜ばないといけないのですよ。
 つまり、その現象が起こることによって過去の業が消えるわけですから、だから、それで死なないのだったら、「まだましじゃないか」と考える。つまり、ポジティブにとらえるということです。ネガティブじゃないんです、考え方が。
 だから、災難が起こっても、いいほうにそれを解釈していくという方法が大切なのです。「ああ。よかった。ありがたいことだ。この程度の災難で済んでよかったな」と、思うと感謝ができる。そうすると、それできっちり事は済んでしまって、その災難をくぐって、あとはよくなっていくのです。
 みなさんよろしいですか。
 運命というのはありますが、宿命ではありません。そして、現世において、新しい因をつくらなきゃいけません。現世において業をつくるのです。業というのは、悪い業じゃない、善い業をつくるんです。それが大切なことなのです。
 
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