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 [正釈]日月神示
中矢伸一・著 徳間書店 1995年刊
 

●現代の栄養観は、自然と生物をそれぞれ独立した対立関係としてとらえ、栄養摂取という概念(食う立場)で食物連鎖を見る。要するに、『食う、食われる』の関係で食物連鎖を見るわけで、その結果、人間(最終捕食者)→動物→植物→肥料(大地)という下行性の流れ、つまり人間を頂点として自然界を底辺とする弱肉強食の自然収奪のピラミッド構造と見る。
 この食構造は、とりもなおさず人間中心の権力的食事観(男性原理)であって、この収奪思想が現代栄養学の正体である。また今日叫ばれている自然保護にしても、実態は人間の利権を守る利己的発想であり、無いよりはましの偽善に過ぎない。
 これに対して自然医学は、自然→食物→人間の順序で生まれ変わるという上行性の発展的生命観だ。従って、食物を食べることは自然を食べることであり、同時にそれは食物が人間に生まれ変わることを意味する。
 つまり、『食』とは人間から見ると、食うことだが、頭を切り換えて、食われる側の食物から見ると、食物に人間が食われる姿と見ることもできるわけだ。(中略)
 要は、『食』という最も基本的な営みを、人間中心に見るか、自然中心(食物の側)に見るか、ということ。『食』行動は人間と食物の間における相対的な営みであり、両者の立場から見なければ真実は知り得ない。
(医事評論家・松本英聖/『自然医学』誌)

●天国的な境地での死は、死後も天国的な世界の住人となることを約束する。真の安心立命への道は、まず肉体上の事象に限定した考え方を放棄することから始まる。
 肉体が死を迎えればすべて無に帰する、という考え方は誤りである。死とは、次元の異なる世界に移行する時に起こる現象に過ぎない。
 人の死を軽視するような風潮になってはならないが、死そのものを不幸ととらえる考え方からは、現代人は早く脱却すべきである。

●われわれは、霊性進化のために肉体を頂いていることは間違いない。肉体は、天地よりの預りものであるから、大切に養生し、血液を清浄に保ち、最後には大地にお返しする。

●環境問題を討議する国際会議に出席していたアメリカ人のジャーナリスト、カリフォルニアKCAL・TVのデニス・ファリアが、私にこんな話をしてくれた。

 よく『地球を救おう』などという人がいるけど、僕はそういう発想そのものがおかしいと思う。われわれ自身が、地球の環境システムのほんの一部であって、その莫大な恩恵を授かって生きている。実際われわれには、どこまで地球が危機に瀕しているのかもよく判っていないし、生態系の実態も、あまりに複雑で、深すぎて、まだその全容はほとんど解明されていない。それなのに、『地球を救おう』なんて言うのは、すごく人間の傲慢さに満ちた言い方だとは思わないか?

●日月神示によれば、人間はこれから「神」と「獣」に分かれるという。
「神」というのは、霊的に目覚め、マコトの臣民として神の道にいそしむ真人であり、少数派である。「獣」は、霊的な覚醒を見ず、神の道の何たるかを知らず、また関心もない大多数派である。

穀物菜食はいまや世界の潮流になりつつある。そのことに、ほとんどの日本人は気づいていない。しかし、考えてみれば、日本は穀物菜食の本家とも言うべき国である。現在のような欧米化した食生活が浸透を始めたのは明治維新以降のことであり、本格的に全国に普及したのは戦後のことである。つまり、肉・野菜・卵・乳製品をバランスよく摂るという食事指針が「常識化」されて以降の歴史は、わずか五十年ほどしかないのである。
 その間に、確かに日本人の平均寿命は世界一となった。ところが一方、ガンや心臓疾患、脳疾患による死亡者数は年を追うごとに増え続け、老人性痴呆やアルツハイマー病が蔓延し、さらにはエイズ、MRSA(院内感染)、劇症溶連菌感染症などの奇病が発生し始めている。

●食を通じてわれわれは、同一波長の世界の身魂となる。天国的な、波長の細やかな世界に行くほど菜食に近くなり、地獄的な、波長の粗い世界に行くほど肉食となる。地獄界の下層部では、餓鬼と化した者たちが、動物の腐った屍を食らっているという。

肉食をしていると、どうしてもその人の波長が粗くなるのは確かなようだ。
それは、You are what you eat 〜 人は、食べたところのものだからである。
 
 
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