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 日本の復元力
中谷巌・著  ダイヤモンド社
 
 
 明治の近代化は江戸庶民社会の賜物?

 江戸時代、身分制度は確かにあった。だから、不平等がまったくなかったわけではない。
 しかし、実態的に見ると、武士は志を高く持って困窮に耐え、商人は身分は低いが経済的には裕福であるというある種のバランスの取れた社会構造だったので、庶民が支配階級である武士階級にとてつもなく痛めつけられて悲惨な生活を強いられたという「階級社会論」は当てはまらない。ここが、一部の特権階級と大多数の下層階級から成るヨーロッパの階級社会との大きな違いである。
 これでもか、これでもかと搾取される社会であれば、搾取される側は「いくら働いてもみんな取られてしまうんだったら、さぼっていたほうがいい」と開き直ってしまうだろう。あるいは、心がすさんで当事者意識をなくし、「隙あらば悪いことでも何でもやってやろう」という気持ちになるかもしれない。
 しかし、日本の江戸時代はそういう構造ではなかった。支配階級の武士たちが威張り散らし、庶民から無理やり奪い取るということもあまりなく、むしろ庶民のほうが元気だった。庶民たちは、自分たちこそ社会の主人公だという意識すら持っていたのではないだろうか。現に、歌舞伎、浄瑠璃、浮世絵、落語など、いろいろな文化が生まれているが、これらはすべて庶民がつくり出したものである。庶民が自分でつくり、自分で楽しむ。室町時代の文化、武家中心の「詫び」「寂び」という文化を土台にしながら、自分たちに合うエンターテイメント性の強い文化を江戸庶民たちがつくっていった。それが江戸という時代の大きな特徴である。
 日本以外の先進国でこのような文化・芸術活動の中心部分が庶民層によって担われる社会を読者はご存じだろうか。多分なかなか思いつかないのではないだろうか。筆者の知る限り、世界中どこを探してもそのような社会はないからだ。ヨーロッパの文化、たとえば現代のフランス文化の中心は宮廷文化である。フランスに限らず、イギリスでもスペインでもだいたい似たようなもので、日本の江戸時代のように、庶民が大きなパワーを発揮して文化を築き上げたという話など、寡聞にして聞いたことがない。
 そういう意味で、経済的にも文化的にも庶民階層が主人公になったという、極めて特異な社会ができ上がった。これが江戸という時代の大きな特徴であるのだが、さらに、江戸の庶民を語るときには寺子屋の存在を忘れるわけにはいかない。江戸時代も後期になると、庶民たちも少しばかり余裕が出てきたのだろう、自分の子どもを寺子屋に通わせるような親が増えてきたからである。
 その寺子屋の数だが、専門家の話によれば、「正確なところはわからないけれども、日本中に1万から2万の寺子屋があったのではないか」とのことである。では、その1万から2万という数字は多いのか少ないのか。
 いま、日本にコンビニがいくらあるかというと約4万軒。ということは、仮に寺子屋の数が1万だったとすると、寺子屋の4倍に相当する。一方、人口は、江戸時代が約3千万であったのに対し、いまは約1億2千万で4倍だから、人口当たりで考えると、実に、いまのコンビニに相当するくらいの数の寺子屋があったという計算になる。つまり、寺子屋はコンビニと同じくらいのプレゼンスがあったわけだ。
 しかも、寺子屋というのは幕府が教育制度として定めたものではなく、庶民たちが自主的につくったものである。もちろん、武士たちには藩校という藩の教育機関があって、そこで武士道や儒教を学んでいたが、庶民たちは自分たちで寺子屋をつくって、先生を呼んできて子どもたちに学ばせていた。読み書きそろばん、それから仏教の基礎的な教え、そういったことはみんな寺子屋で学んだのである。
 これまた特筆すべきことと言わざるを得ない。たとえば、明治維新からまもないころ、日本の庶民とヨーロッパの庶民の識字率、つまり、どれだけ文字が読めるかということを調べたところ、日本のほうがヨーロッパ先進諸国より圧倒的に高かった、という話が伝わっているが、それはとりもなおさず、寺子屋が庶民の教育機関として大変大きな役割を果たしていた、ということの証左である。
 こうやって江戸時代を眺めてみると、江戸時代は巷間言われているような暗黒時代などでは決してなかったことがわかる。もちろん、一部には理不尽なこともあったろう。しか し、全体として見た場合、庶民階級が実質的に文化創造者の役割を担うという、極めてユニークな歴史を刻んだのが江戸時代であった。
 そこでは庶民が生き生きとしていて、しかも、搾取されているという感覚があまりないから、他人のものをくすねてやろうとか、隙があったら盗んでやろうとか、そういったいじけた発想にはならない。自分も他人のものを盗む気など全然ないし、他人もそうだから、家を開けっ放しにしていても、まったく気にならない。そういう安心・安全な日本社会を見たら、階級的色彩の非常に濃いヨーロッパから来た外国人たちが、「これはすごい。こんな国、世界のどこにもない」と驚くのも当然であろう。
 思うに、こういった庶民中心の社会こそがまさに日本であり、それが日本の近代化や経済発展の原動力になったのである。一般庶民はエリートではない。けれど、基礎的なことはきちんと理解している。しかも、何と言ってもやる気がある。自分たちが何とかするんだという当事者意識もある。それは江戸時代までの歴史の中でつくり上げられてきたものであって、維新後の近代化のスピードが異様なほどに速かった理由はここにある。つまり、それだけのベースがすでに築かれていたわけだ。
 もし、日本の江戸時代がヨーロッパの階級社会のように、庶民がしいたげられているだけでやる気のない、ただふてくされているような存在だったら、あんな急速な近代化なんてとてもできる相談ではなかっただろう。明治維新から30年足らずで日清戦争、40年足らずで日露戦争を戦い、幸運も幸いしたことは間違いないが、何とか2つとも勝つことができた。それもやはり江戸という文化蓄積の時代があったからこそであろう。
 その庶民中心の社会はつい最近までずっと続いてきた。第2次世界大戦でアメリカの空襲を受け、徹底的に破壊し尽くされた日本がアッと言う間に復興できたのも、やっぱり庶民の力によるところが大きい。大変だけれども何とか復興させよう、一丸となってみんなで頑張ろう、日本を経済発展させようという庶民階級のやる気と能力。これがあったから、奇跡とも言われるほどの復興を遂げることができたのである。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
江戸時代は一般的に「封建社会」と定義されていますが、支配階級とされている武士は経済的には困窮し、士農工商の一番下にあって被支配層であるはずの商人が、経済的にはもっとも豊かで、江戸時代後期には社会の実権を握っていたのです。「武士は食わねど高楊枝」ということわざがそれを表しています。この点が西洋の搾取・被搾取の関係にある階級社会と異なるところです。その結果、庶民の文化は花開き、しかも庶民が自主的に設けた寺子屋という学習の場が、世界一の識字率を誇るような社会基盤を作ったのでした。そのような国民性が、明治維新以後の国難の中でこの国を守り、復興の原動力となってきたのだと、この本の著者は力説しています。
 ──が、そのような日本の強みが、戦後の偏向教育によっていま完膚なきまでに破壊されようとしている点が問題なのです。多くの日本国民がもっとこの国の“本当の歴史”を学ぶ必要があることを痛感いたします。
 
 
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