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 人間の覚悟
五木寛之・著  新潮新書
 
 
 覚悟するということ

 そろそろ覚悟を決めなければならない。
 最近、しきりにそんな切迫した思いがつよまってきた。
 以前から、私はずっとそんな感じを心の中に抱いて、日をすごしてきていた。しかし、このところ、もう躊躇している時間はない、という気がする。
 いよいよこの辺で覚悟するしかないな、と諦める覚悟がさだまってきたのである。「諦める」というのは、投げ出すことではないと私は考える。「諦める」は、「明らかに究める」ことだ。はっきりと現実を見すえる。期待感や不安などに心をくもらせることなく、事実を真正面から受けとめることである。
 では「諦める」ことで、いったい何が見えてくるのか。

 私たちは無意識のうちに何かに頼って生きている。
 「寄らば大樹の陰」
 とは昔から耳になじんだ諺だ。
 しかし、もうそんなことを考えている段階ではない。私たちは、まさにいま覚悟をきめなければならない地点に立っているのである。

 1945年の夏、中学1年生だった私は、当時、平壌とよばれていた街にいた。
 現在の北朝鮮の首都、ピョンヤンである。
 平壌は美しい街だった。大同江という大きな川が流れ、牡丹峰という緑の台地がそびえている。古代の楽浪郡の遺跡には、瓦の破片や土器などが転がっており、ポプラ並木を涼しい風がわたった。
 美しい街だった、などというのは、私たち日本人の目から見た傲慢な感傷にすぎない。私たちは、植民地支配者の一員として、その街に住んでいたのだから。

 1945年、夏、日本が敗れた。戦争に負けたとき、旧植民地支配者が受ける苛烈な運命に、私たちは無知だった。
 そもそも日本が敗れる、ということすら想像もつかなかったのだ。
 あの第二次世界大戦の末期、私たち日本国民の大部分は、最後まで日本が勝つと信じていた。
 ふつうに新聞を読めば、戦局の不利はだれの目にもあきらかだったはずだ。それにもかかわらず、私たちには現実をまっすぐ見る力がなかったのである。米軍が沖縄までやってきているというのに、私たちは敗戦の予測さえついていなかった。
 これがイギリスやフランスなど植民地経営に歴史のある国の国民なら、自国が敗れる前に、さっさと尻に帆をかけて逃げ帰っていただろう。
 しかし、私たち日本人にはまったく現実が見えていなかったのだ。当時、ラジオ放送は絶大な信頼感をもたれていたメディアだった。
 敗戦後しばらく、ラジオは連日のように、
 「治安は維持される。日本人市民はそのまま現地にとどまるように」
 と、アナウンスしていた。私たちはそれを素直に受け取って、ソ連軍が進駐してくるのを、ただ呆然と眺めていただけだった。
 実際には敗戦の少し前から、高級軍人や官僚の家族たちは、平壌の駅から相当な荷物をたずさえて、続々と南下していたのである。
 ソ連軍の戦闘部隊が進駐してからのしばらくは、口には出せないような事態が日本人居留民をおそった。私の母も、その混乱のなかで残念な死に方をした。
 私たちは二重に裏切られたのである。日本はかならず勝つといわれてそれを信じ、現地にとどまれといわれて脱出までの苛酷な日々を甘受した。
 少年期のその体験にもかかわらず、いまだに私自身、いろんな権威に甘える気持ちが抜けきれないのだ。
 愛国心は、だれにでもある。共産主義下でのソ連体制を徹底的に批判しつづけたソルジェニーツィンも、異国に亡命した後でさえロシアを愛する感情を隠そうとはしなかった。
 どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。
 私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれるとも思わない。
 国家は国民のために存在してほしい。だが、国家は国家のために存在しているのである。
 私の覚悟したいことの一つはそういうことだ。

 国を愛し、国に保護されているが、最後まで国が国民を守ってくれる、などと思ってはいけない。国に頼らない、という覚悟をきめる必要があるのである。
 国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところでは国は私たちを守ってはくれない、と「あきらめる」ことこそ、私たちがいま覚悟しなければならないことの一つだと思うのだ。

 頼らない、ということは、信じない、ということではない。自分の覚悟があっての信頼なのだ。
 国に頼らない覚悟、そこからそれまでと全然ちがう新しい国への確信が生まれてくるのではあるまいか。
 お金を銀行にあずけて頼りにしていられる時代ではない。年金もおまかせでもらえるわけではない。
 子供の教育は学校がしてくれる、などと呑気なことを考えているわけにはいかない。
 祖父が孫を殺し、高齢者さえもが無差別殺人に走る時代である。家族、家庭、夫婦、人脈、すべてに対して頼る気持ちを捨てる覚悟がいるだろう。
 高齢者に優しい社会などない、と覚悟すべきだ。老人は若者に嫌われるものだ、と覚悟して、そこから共存の道をさぐるしかないのである。

 無償の善意はなかなか人に伝わらないものだ。むしろ警戒されるときもある。隠れた善行も、それに対するむくいなど期待しないほうがいい。善意が悪意でむくわれることのほうが多いのが世の中だ。

 
 
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