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 いま、日本が危ない!!
ユダヤの日本民族滅亡の大陰謀を暴く!! 
太田竜・著  日経企画出版局
 
 
 日本の政治は、ユダヤに操作されている

 ユダヤ地下世界政府は、米軍占領時代も、独立回復後も、事実上、日本の総理大臣の任免権を握り続けています。戦争終結直後の、東久邇首相は占領軍の指示で追放され、その後任は、戦前からの強固なフリーメーソンの会員、つまりユダヤの忠実な工作員である幣原喜重郎です。そのあとの歴代首相は、いずれも、ユダヤ・フリーメーソン系列ですが、佐藤栄作首相の後を継いだ田中角栄氏のみは、ユダヤ・アメリカへの隷属を拒否する日本民族派の総理大臣だったのかも知れません。
 そこで、ユダヤは、ロッキード汚職という一大謀略スキャンダルを仕掛けて田中角栄を狙い打ちしたのです。
 田中首相が失脚して以後は、自民党の政治家は少々でもアメリカの意に反すると、スキャンダルを暴露されて葬られる、と、戦々恐々、ひたすらアメリカ(ユダヤ)に迎合するしかなくなりました。自民党の中でも、民族自立、独立をひそかに志している政治家たちも、一人、また一人とつぶされて、排除されるのです。
 しかも、ユダヤはいま、ADL(ユダヤ名誉毀損防止同盟=秘密結社フリーメーソンの中枢部。ユダヤ人だけの秘密結社ブナイ・ブリスの下部機関の一つ)を使って、ユダヤ指導部の指令どうりに動く政治家(国会議員)づくりを開始しているようです。
 ユダヤに占拠されているアメリカでは、AIPAC(在米ユダヤ人がつくっている政治活動の委員会)が、政治資金と、彼らの握るマスコミによって、上院、下院に、強力な親ユダヤグループ(ユダヤそのものの議員も含む)が出来上がっています。
 ユダヤは、日本の国会も、こんな具合にしたいのです。アメリカでは、大統領も、議会も、人口の3%のユダヤに握られている、その真相が、おぼろげながらも国民に気付かれているので、民衆は全く政治に白けています。
 2億以上の有権者のうち、大統領選挙に投票するのは五千万人程度、すなわち、25%(棄権者75%)、というのが実態です。三千万で当選すれば、有権者の15%しか代表しない人物が、大統領になるのです。

 
ユダヤ文明の核心は、「家畜制度」の論理を究極まで煮詰めたもの

 ユダヤはついに、二千五百年かかって、世界人間牧場完成の日を目前にするところ迄来ました。現在、地球に存在する唯一の普遍的文明は、ユダヤ文明です。このユダヤ文明の正体、その核心は、一体、なにものでしょうか?
 筆者は、それは、家畜制度であり、家畜制度の理論を、究極まで煮詰めたものである、と見たいと思います。家畜制度(動物を人間の奴隷とする制度)は、約一万年ほど前に、西南アジアー帯で生まれたものと推定されていますが、その後、数千年の間に地球全域に広がりました。動物界の一員である人間が、同じ仲間の動物たちを奴隷としてゆくのですから、これは非常な無理があります。
 この門を入ると、人間は、自然を敵視する妄想にとらわれざるを得ません。
 筆者は、ユダヤの特徴は、この無理無体な、自然との敵対のコースを、どの民族よりも徹底して突き進めたことだろうと思います。この中核点を理解すると、ユダヤがよく見えて来ます。ユダヤが、なぜ今日のように世界征服の一歩手前まで来れたのか、その秘密も、見えてくるのです。
 つまり、ユダヤは、家畜制度の論理を、他の民族(ゴイム)にも貫徹することによって、ゴイム大衆に対して(他の動物や植物に対してはもちろんのこと、)あわれみとか、慈悲とか、同情とかに足を取られることなく、冷酷に、いかなる虐殺でも、詐欺でも、ウソでも、なんでも出来るように訓練されるのです。
 それゆえ、「偽善者」というのが、ユダヤの根本的特質となる必然性があります。イエス・キリストは、そのことを見破っているのではありませんか。
 すべての民族の中に、この種の傾向が存在することは自明ですが、ユダヤは、これをタルムードという一つの聖典にまとめて、民族全体を、二千年以上に亘って教育してきたのです。「シオン長老の議定書」第一章に、「権力と偽善とは、我等の標語である」、と書いてある通りです。
 従って、家畜制度を持たない狩猟採集民族や、インカ(いまの、ボリビア、ペルー、エクアドルなど)のように、家畜制度の殆ど発展していなかった農耕民族を「処分」するのは、ユダヤにとって、赤子の手をねじるようにやさしい仕事となるのです。

 家畜制度を全廃しない限り、人類のユダヤ化と自滅は避けられない

 ユダヤ教のラビ(導師、法師)の仕事は三つ、あるそうですが、その一つは、屠殺に立ち会ってこれを聖化することだと、記録には書いてあります。だから、ユダヤ教徒は、ラビによって聖化された肉のみを食べねばなりません。
 しかし、この「屠殺」の聖化は、実は、羊のような、食肉用の家畜のみでなく、ゴイム(非ユダヤ)に対しても適用され得るのです。単にユダヤのみでなく、すべての民族が、戦争になると、敵を殺すことを、国民の神聖な義務とし、多くの場合戦死した兵士を民族の聖なる地に葬り、記念しています。
 人類同士の殺し合いは、いつの頃から発生したのでしょうか。そしてそれはいかなる因縁から、発展と拡大の一途をたどるに至ったのでしょうか。間違いなく狩猟技術の発達が、人間相互の殺戮に導いたのです。そして、狩るべき獲物が欠如したとき、人々は野生動物を家畜にする技術を開発したのです。そのあとは、一直線に、今日のような、人と人の争い、人間の自然との激突という、地獄を我々はつくり出してしまったのです。
 しかし、そもそも、狩猟の目的は、肉食にあるのですから、どうやら、人類が肉食に固執する限り、出口はないようです。人間の肉食が、人類を自滅させる──ここまで、結論を出さざるを得ないでしょう。
 このように見てくると、我々には、日本民族が、たぐいまれな歴史的伝統と経験を持っていたことに気付くのです。それは、仏教の影響で、平安時代初頭に、肉食禁断の天皇の勅令が出された、という事実です。この肉食禁断の勅令は、その後、徳川幕府の末期まで、約一千二百年の間維持されています。恐らく、こんなことをした国家は、この地球上で、日本だけだったのではないでしょうか。
 この理由によって、ユダヤ民族と日本民族は、正反対の極に位置する結末になったのです。
 潮武臣(広島県亀山神社宮司)氏は、「日本の神々が今や世界人類の最後の救世主として見直されて来た」(山雅房刊「鎮守の社の神々」362項)、と記されていますが、ここに云われている日本の神々には、日本民族が、家畜制度を発展させず、肉食も最小限度に抑制していたからこそ、生きて働くことも出来たのではないでしょうか。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
家畜制度に関する一考察は太田竜(龍)氏の慧眼といえるものです。氏の持論でもあります。人類が家畜に対して行なったことがカルマとなって、いま人類が家畜のように飼い慣らされる時代を迎えているのです。日本だけはそのカルマから免れてきたのですが、今日では街頭にはファーストフーズの店が建ち並び、その中で若者たちがおいしそうにハンバーガーや牛丼をほおばる国となってしまいました。人間のゴイム化(家畜化)が仕上げの段階にかかっているのを感じます。もちろん、そのようなカルマづくりを行なってきた側に、より激烈なカルマの清算期が訪れるのは避けられないと思いますが……。
 
 
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