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 日本はなぜ神道なのか
中矢伸一・著  ワニ文庫
 
 霊的感受力に優れた日本人……

 現代においても、日本人の霊的感受力は、完全に失われたわけではない。かなり衰えているとはいえ、さまざまな日常生活の面において、日本人は時おり、この「目に見えぬ何かに対して畏敬の念を抱く心」を発揮する。
 神社や仏閣に詣でる人は、いまでもあとを絶たない。大会社の社長と重役たちが、業績の回復を祈って参拝に訪れ、神仏に真剣な祈りを捧げる姿はよく見かける光景である。
 初詣でに行ったことが一度もないという日本人は少ない。おみくじを引いたり、お守りを持ったことのない人というのも少ないはずだ。
 もちろん、現代の日本人の大多数は、しっかりとした信仰心を確立しているわけではないというのも事実である。結婚式は神社か教会で挙げ、葬式は仏式、12月24日・25日はキリスト教でもないのにクリスマスムードに浸るというのが、平均的日本人の姿であろう。
 しかし、家を建築する前には地鎮祭が行なわれる。海開きや山開きの前には、神官が出てきて幣(ぬさ)を振る。各地の伝統的な「祭り」は、数十万、数百万の人出で毎年大賑わいである。
 霊的なことを感じず、そうした世界の存在を認めず、畏れもしないという人は多いのかもしれないが、われわれの日常には、一種“霊的な”概念にもとづく慣習が、違和感なく融け込んでいる。
 一神教を絶対のものと信じ、多神教やアニミズム的信仰を原始的なものと見る傾向のある欧米人にとってみれば、現代の日本人の慣習や伝統の中には、プリミティブな古代信仰の遺物としか理解できないものも多いだろう。
 だが実際は、宇宙の運行や大自然の営みなどの森羅万象に対して、素直に神を感じとった太古の日本人のほうが、はるかに実在する神を直感する能力に長けていたのである。そしてその直感力は、科学的合理主義の進んだ現代においても、断片的ではあるものの、確かに受け継がれているのだ。
 人類文明は近世において、目覚ましい進歩を見たが、その主導権を握っていたのが、ヨーロッパ、イギリス、アメリカなどの一神教国家群であった。いわば聖書を信仰の拠りどころとする、西洋の白人系社会である。
 この一神教により、確かに経済は成長し、科学は発達し、先進国家では国民は便利で豊かな生活を享受できるようになった。しかしその一方で、もはや取り返しがつかないと思われるほどの、深刻な問題をも引き起こした。
 環境破壊、異常気象、食糧問題、人口爆発、地域紛争、現代病の蔓延、犯罪の増加、モラルの低下、そして世界的同時不況……。危機的な問題は数限りなく山積し、どれ一つとして抜本的な対策はなされていない。これら諸問題の根本原因は、すべて一神教にもとづく思想や価値観から生み出されたと言ってよい。
 キリスト教や聖書が悪だと言っているわけでは決してない(本来の意味からすれば神道は、キリスト教に代表される一神教をも包含する)。
 近世から現代まで、人類史における主役を担い、物質文明の発展に寄与した一神教は、いまや限界に達しているのである。一神数的思考では、もはや人類の直面するさまざまな問題に対処できず、ましてや解決することなど不可能と言える。
 そこで、いま注目すべきなのが、古来からわが日本国に存在した「神の道」――神道――である。日本人が天性として備える霊的感受力から生み出された神道にこそ、人類を永遠の繁栄に導く“カギ”が隠されているのだ。

 
形骸化してしまった神道……

 ところが現在、神道というものもすでに形骸化してしまっており、実際に神道とは何なのか、教義があるとすればどのようなものかということについては、ほとんどわからなくなってしまっている。
 実は、神道には教祖もおらず、教義や教典にあたるものもない。官選の史書と位置づけられる『古事記』『日本書紀』、あるいは『古語拾遺』といった古書のほかには、“正統”な神道を探るための文献はないとされる。
 立派な神社に仕える神官たちのなかにも、神道とはいかなる道かということを日本人や、外国の人々に堂々と説ける人物は、非常に少ないと言ってよい。これは、わが国最大の悲劇の一つである。
 今日までのわれわれ日本人社会は、一神数的思考から生み出された思想や価値観に見事にはまり、踊らされてきた。自由主義、資本主義、共産主義、民主主義というものは、すべてそうした思考の産物である。
 金融、証券、土地……。金をあらゆるものの価値の根本に据えた拝金主義は、戦後において経済的成長を促進させることには役立ったが、バブルが弾けてみれば、それが一種の虚構であり、人生を幸福に生きる上で真に頼れるものではないことが明らかになってきた。
 日本人はいままで、外にばかり目を向けてきた。外国の思想、文化、価値観を、進んでいるもの、優れているものとして無条件に受け入れてきたのである。だが、われわれは現在、それがいかに頼りないものであったかを思い知らされつつある。
 本当に頼れるものは何か。心の拠りどころ、人生の指針として仰ぐべき原理とは何か。
 結論から言えば、それが、真の日本神道なのである。一神教の支配する外国から輸入された思想や哲学などではなく、悠久の昔から厳として存在するわが国「惟神(かんながら)の道」(世の始まりから変わりなく伝わる、神の御心のままで人為の加わっていない道)にこそ、本当に頼れる永遠の真理が秘匿されているのだ。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
ここで中矢氏が述べている“神道”とは、一宗派として位置づけられるようになっている今日の神道ではなく、「神慮のまま」という意味の“惟神(かむながら)の道”を指しています。行き詰まった西洋文明の反省として生まれてくる次の文明の中心となるのは本来の日本文明だとも言われています。その日本文明のバックボーンとなっているのが惟神の道としての神道なのです。
 
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