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 ユダヤと戦って世界が見えた
白人支配の崩壊と「二つのユダヤ人」 
宇野正美・著  光文社
 
 
 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」が示したもの

 アメリカ人、なかでも白人たちにとってアメリカ先住民族、彼らの言うインディアンとは、かつてのスペイン人たちが南米のインディオたちに抱いたと同じイメージであっただろう。野蛮きわまりない者たち、征服されてしかるべき者たちであった。それに拍車をかけたのが西部劇映画であった。
 しかし今日つくられる西部劇には、インディアンが撃ち殺されていくシーンはない。アメリカではそのような映画をつくることすら不可能になってきている。先住民の叫びが大きな位置を占め出してきているのである。
 そのようななか、1991年第63回アカデミー賞で最優秀作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、オリジナル作曲賞、編集賞、録音賞の7部門を制したのは「ダンス・ウィズ・ウルブズ」であった。この映画はまさにインディアンの悲劇そのものを取り扱ったものである。
 この映画はアメリカ人たちの心を揺さぶった。白人たちはいったい何をしてきたのか、インディアンたちは何を失わされてしまったのか、この映画はそれを正面から取り上げた。
 この映画の主演ケビン・コスナー自身、アイルランド系、ドイツ系、それにインディアンの血を合わせ持つ人物である。彼自身1800万ドルを出資し、独立系の映画会社でこれをつくった。
 この映画が完成し、出演したインディアンたちがこれを見たとき、全員が泣いたという。
 映画そのものに感動しただけではなく、独自の規律を持ち威厳と笑いにあふれた過去のインディアンの姿を見て、貧困と悲しみしかない現在の自分たちがもはやそのようになりえないことを思って泣いたというのである。
 数十年前、西部劇映画の撮影にインディアンたちがエキストラとして雇われるときには、「この映画ではインディアンが立派に取り扱われている。君たちの復権に関わることだ。協力していただきたい」と言われたが、実際にその映画ができあがってみるとインディアンたちは必ず裏切られた。白人たちの銃の下に虫けらのように殺されていく役回りにしかすぎなかったのである。
 それでも映画に出なければ、生活が成り立たなかった。インディアン居住区の中の生活は苦しい。行き場がない。そして貧困と麻薬とアルコール中毒……。
 ところが、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」という一本の映画が、アメリカ人や世界中の人びとの意識を変革していったのである。アカデミー賞7部門までがこの映画に与えられたことによってもわかる。
 イギリスのBBC放送も、あるドキュメンタリー番組を次のような言葉で閉じていた。

 しかしインディアンには救いは訪れなかった。1890年12月、ウンデッド・ニーで合衆国の兵士たちが非武装のスーの一団に発砲した。たちまちのうちに300人以上が殺された。『私にはいまもはっきり見える。虐殺された女と子供の死体が谷に散らばっているのを。彼らとともに泥と雪の中で死んだものがもう一つある。それは人びとの夢である。人びとの絆は断ち切られ、中心は失われた。聖なる木も死んだ』
 このウンデッド・ニーの虐殺で、白人のインディアンへの戦争は終わりを告げた。そしてこれがインディアンがアメリカの歴史のページに登場した最後の瞬間であった。アメリカの先住民族であるインディアンが、白人によってついに打ち負かされたのであった。
 しかし野蛮なインディアンのイメージはその後も残った。生き残ったインディアンたちはそのイメージを背負ったまま白人に服従して生きていかなければならなかった。それは彼らにとってそれまで以上に過酷な試練になったのであった。
 最近の調査では、コロンブス以前に住んでいた先住民族の人口は500万人ほどであり、1890年にはそれがわずか25万人に減少した。同じ時期、白人の人口はゼロから増え続け、7500万人を超えるにいたった。


 このような民族間の軋轢、白人社会と有色人種間の争いを世界的な規模で広げていくと、いま日本が立たされている立場がはっきりと見えてくる。日本は有色人種の代表格の国なのである。
 
 
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