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 ユダヤ世界帝国の日本侵攻戦略
列島支配を目論む「陰の帝国」を暴く!!
太田竜  日本文芸社
 
 
 親ユダヤ人脈の直系、吉田茂と“吉田学校”

 明治新政府は、長年の間日本が窓口としてきたオランダが、頼むに足りない小国であることを知って、他の大国、列強に乗り替えることにした。その候補がアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ(プロシャ、オーストリア)である。
 なお、当時、米英仏の実権はすでに、ユダヤの手中にあったが、ドイツ(プロシャのホーヘンツォルレン王家とオーストリアのハプスブルク王家)では、ユダヤによる全権掌握(王制転覆)をめざした大会戦が展開されているというところであった。
 いずれにしても、日本の指導層もおのずから米系、英系、仏系、独系に分かれて、ある種の派閥に組み込まれている。しかし、日英同盟条約が締結されるに及んで、日本政府の主流は、親英仏・親アングロサクソンに収斂した。日英同盟交渉時の駐英大使・林薫(のち、外務大臣となる)は、このころ、イギリス・フリーメーソンに入会を認められている。このへんから、日本の外務省官僚の出世コースは、ロンドン勤務─駐英大使という相場が決まったようだ。
 この線上に、幣原喜重郎(前述したようにフリーメーソンであることが確認されている)、吉田茂の名前が出てくる。しかし、彼ら日本の親英米派、親アングロサクソン派が、英米の背後にユダヤの地下世界政府が存在している事実を認識していたのかどうか、それはわからない。
 が、少なくとも、日露戦争当時の外相・小村寿太郎は、フリーメーソンが日本民族にとって危険な団体であることを知っていたらしい。安政不平等条約が、半世紀の血のにじむような努力の末に、完全に廃止されて日本の独立が回復されたとき、小村外相は日本国内のフリーメーソン結社が日本人を会員とすることを禁止させた。つまり、日本人が国内においてフリーメーソンに入会すれば、警察によって逮捕されることになった。フリーメーソンは、警察の監視団体となったわけだ。
 幣原や林のように、任地(ヨーロッパ)でフリーメーソンに入会した者も、日本に帰国したあとは、司法官憲に対し、秘密裏に活動しなければならない。
 小村の英断は、日本国内におけるユダヤの活動にある程度の規制を加えた、ということはできる。しかし、山縣有朋の死のあと、天皇を補佐する維新の元勲として、親英米(親ユダヤ)派の西園寺公望ただ一人が生き残った状態になってからは、日本の国家中枢部(「重臣」という便利な言葉で呼ばれる)は、事実上、ユダヤによってコントロールされることになってしまった。
 吉田茂の義父・牧野伸顕はこの西園寺を長とする重臣団の一員であり、吉田はこの人脈の有力なメンバーであったのだ。

 
“大東亜戦争”の実態は対ユダヤ戦争だった

 昭和16年(1941)12月8日の対米英開戦の詔勅では、この戦争の目的がすこしもわからない。日本は戦争をやりたくなかったのに、米英に経済封鎖され、万やむをえず、戦わざるをえない立場に追い詰められたとしか、そこには記されていない。
 すでに日露戦争終結直後に、ユダヤ・フリーメーソンは、日本を次の「仮想敵国」と定めた。この対日戦の戦争目的は、はっきりしている。日本をアジア・中国大陸から追い払い、中国をユダヤが直接占領することである。こんな程度のことを見抜くのに、たいした知恵も必要としないはずだが、当時の日本国家の中心には、幣原喜重郎に代表されるようなユダヤの工作員がしっかりと植え込まれていた。
 ユダヤは何重もの周到な対日戦略をたて、着々と布石を進めた。そしてその一石ごとに、日本は攪乱され、挑発され、全世界に醜態をさらし、ユダヤの思うツボにはまり込んでいったのだ。
  なかでも、ユダヤの会心の一手は、蒋介石、宋美齢など中国国民党政権の中枢部をフリーメーソンに取り込み、この蒋政権を使って反日・抗日・侮日キャンペーンを展開させたことであろう。この謀略に日本はまんまと引っかかり、中国大陸での泥沼戦争に引きずり込まれた。日中を戦わせ、両国を消耗させ、その隙に東アジアをユダヤが占領するという大作戦の第一波が、日清戦争である。
 さすがに勝海舟は、ある程度その真相を見抜いていたようで、当時、日清戦争に反対している。しかし、この戦争に勝って、日本国民は舞いあがってしまった。中国人を蔑視する態度が民衆の間にも広がっている。このときすでに、日本はユダヤの罠にはまり込んだことになる。
 それからあとは、有頂天になった日本人を煽動し、挑発して、より深くユダヤの仕掛けた罠に追い込んでゆくだけだ。昭和16年の「日米交渉」は、ユダヤにとっては30年にわたる対日謀略の、いわば最後の詰めにすぎない。つまり、このときの日本のほんとうの敵、戦争相手は、ユダヤの陰の世界政府であったのだ。そして、ごくわずかな先覚者を除き、日本人はその事実を知らなかった。
 敵を知り己を知れば百戦危うからず(孫子)というが、日本は肝腎の敵を知らずに戦争に巻き込まれたのだから、百戦百敗の運命は避けられない。
 敗戦とともに、日本人のユダヤ化がはじまる。天皇の終戦の詔勅で日本は連合軍に降伏したが、「国体護持」を叫んで軍の一部は戦争継続を企図している。はたして敗戦後、日本の「国体」は「護持」されたのだろうか?
 ユダヤは日本のいわゆる「国体」について、十二分に研究し、知り尽くしている。そのうえで占領政策が立案され、そして実行に移された。それに反し、日本民族の側は、敵=占領軍=ユダヤの正体を何も知らないのだ。したがって、敵の意図、敵は日本をどう処理しようとするかの状況把握ができないのだ。
 つまり、ユダヤと日本の情報量のギャップ(ユダヤの対日情報力を百とすれば、日本の対ユダヤ情報力は限りなく零に近い)が、敗戦時に潰滅的な結果を日本民族に与えることになってしまったのだ。
 ユダヤ占領軍が第一に狙ったことは、日本人のすべての民族的伝統、民族の神話、歴史、道徳を破壊することだが、そんなことを占領軍が直接やったのではうまくゆかない。彼らは、すでに大正デモクラシー期に日本のなかに植えつけておいたリベラリストと、親ユダヤ的キリスト教徒、それから左翼(特に共産主義者)を使ってそれをやらせた。日本民族を分断し、日本人自身が日本の民族的伝統を解体、抹殺するような仕掛けがつくられたのである。
 昭和20年12月、占領軍は神道指令を出して日本の国家と神道の関係を切断させ、さらに21年元旦の天皇詔勅(人間天皇宣言と通称される)では、天皇の地位が神話に基づくものでないと明言させた。
 この詔勅によってユダヤは、じつは日本民族の生命線に致命的な一撃を与えてしまったのだが、この文章は前述したヘンダーソン中佐の指示に基づき、フリーメーソン会員である幣原首相によって、英文で起草されて、マッカーサー元帥の承認を得てのちに、日本語に翻訳されて公布されたものであって、昭和天皇の意思など表現していない。
 右翼・民族派・国粋主義者も、児玉誉志夫以下、ユダヤ占領軍に魂を売り渡した。占領軍は数十万人の指導層を、「侵略戦争協力者」として公職追放処分にしたが、代りに共産党を“育成”してユダヤのための情報提供に精を出させた。つまり、敗戦と同時に、日本国中がユダヤ(米英あるいはソ連)に国を売る売国奴の一大軍団で充満するようなことになってしまったのだ。そのしめくくりが、昭和21年から23年まで実施された「東京裁判」であった。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
かつて首相を務めた幣原喜重郎、西園寺公望、吉田茂といった比較的ビッグな名前は「ユダヤに操られた人物」として記憶しておきたいと思います。もちろん、ユダヤの強大な力の前では、これらの人物が「国を売る」行為を拒否することは難しかったと思われます。拒否すれば、本人は少なくとも政治的には抹殺され、代わりの人間が調達されることになっただけのことです。当時から、フリーメーソンやキリスト教という隠れ蓑を使って、“ユダヤ”は世界中にその支配力を浸透させてしまっていたからです。
 戦前の日本では、そのフリーメーソンの裏にいる“ユダヤ”についての研究が進められていたようですが、そのような“反ユダヤ”的な研究に関わっていた人物のリストは、あらゆるところに植え込まれていたエージェント(内通者)たちを通じて“ユダヤ”の知るところとなり、戦後は“戦犯”として血祭りにあげられてしまったのです。その最たる人物が東條英機でした。
 軍の中枢にいて最も“反ユダヤ”的な思想を持つこの“危険人物”を戦犯に仕立て上げるために、開戦が避けられなくなりつつある情勢のもとで、東條英機の首相就任が画策されたのです。戦後、戦勝国が勝手につくった法律によって、東條英機は「共同謀議」という不可思議な罪状で処刑されました。戦後教育を受けた私たちは、東條英機をヒトラーに匹敵する戦争犯罪人と思わされてしまっていますが、真実は「世界支配層(=ユダヤ)にたてついた人物」ということだったのです。
 さらに、彼らにとって「許し難い連中」は戦後の公職追放によって一掃され、その代わりにエージェントを務めてくれた人物たちがあらゆる重要ポストに貼り付けられることになりました。戦前から彼らに手懐けられていた吉田茂などは、彼らの手先となってこの国を好きなように料理させることに協力した人物と言えます。戦後において首相などの重要ポストについた人物ほど、世界支配層(=ユダヤ)に貢献した人物だと考えてもよいでしょう。
 
 
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