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 WHAT IS KARMA?
真の自己責任と自己実現の教えとしての
新カルマ論
 
ポール・ブラントン・著  大野純一・訳
 コスモス・ライブラリー
 
 
 カルマの働き

 カルマによる報いや罰を勝手に施したり、下したり、コントロールしたりする、いわゆる超自然的・外部的存在もない。われわれが無意識のうちにそれらの種をまいているのである。好機が来る時、種は芽を出し、実を結ぶ。
       ◇
 人形使いがつり下げた人形のあやつり糸を引くように、何らかの神秘的な超自然的天使、天神、または神が介入してカルマをあやつるわけではなく、カルマは宇宙の均衡の部分なのであって、その均衡作用のおかげで報いがもたらされ、圧力が記録され、各々の反応がそれ自体のはずみによって起こるようにされるのである。
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 カルマの働きは複雑な結果を複雑な原因までさかのぼって突きとめる。
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 もしも最期に──時にはずっと以前に──カルマがあなたに結果をもたらすとしても、そのすべてが苦痛なわけではない。不吉な予感でいっぱいになる必要などないのである。なぜなら、あなたが考え、行なってきた良いことは、良い報いをもたらすからである。
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 われわれは、みずからの切望によって未来を招来する。われわれは、自分が考え、感じ、行なったことの結果を受け取る。自然はいかなるえこひいきもせず、われわれに当然の報いを与える。
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 カルマは、人が実際に行なうことによって固められるのだが、それはまた、人が長い間考え、強く感じることによっても強められる。
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 ついにあなたがカルマによって責任を問われる時、あなたは他の人々があなたに授ける性格証明書──良いと認めようが悪いと認めようが──によってではなく、あなたの内心で感じている動機、あなたが守ってきた態度、あなた自身の手でした行為によって判断されるのである。
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 出来事と環境は、部分的にはあなたの人となり、およびあなたが行なうこと(個人的カルマ)に従って、部分的にはあなたが必要とし、求めているもの(進化)に従って、また、部分的にはあなたが属している社会、民族または国が行ない、必要とし、求めていること(集団的カルマ)に従って、あなたに引き寄せられる。
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 カルマは、偶然に思われるかもしれない出来事を通じて現われる。が、それらは表面においてのみ偶然に思われるのである。
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 事物は、その性質に従って動く。〈世界観念(神)〉はこれらの動きを秘密の仕方で記録し、それぞれに相応した結果を反射して返す。そして人の場合も事物と同様である。われわれの各々は宇宙に向かって歌声を響かせ、そして宇宙はそれと同じ調子でわれわれに答える。
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 カルマはあなたに、あなたが主として自分自身で作り出したものを与える。それはあなたに、あなたが好むものを与えるわけではない。が、時には両者が一致することはありうる。あなたは部分的にあなた自身の難儀の生み手になることもできれば、精神力によって幸運を自分に引き寄せることもできる。
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 あなた自身の過去生からの力が出てきて、あなたを一定の決定、行為および態度へとせきたてることがある。
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 ウスペンスキーの永劫回帰説は真実でもあり、偽りでもある。われわれおよびわれわれの境遇は繰り返して現われるが、しかし常に異なったレベルでである。それは螺旋であって、円ではない。人生におけるある出来事または時期は以前のそれに対応しているが、しかしそれと同じではない。未来は過去と似通っているが、しかしそれをそっくり繰り返すわけではない。螺旋は、まったく同じ自己または同じ仕事をあなたに戻すわけではない。それは、対応するものを異なったレベルであなたに戻すのである。
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 われわれの外面的不幸は、われわれの内面的挫折の象徴であり、徴候である。みずから生み出したあらゆる苦しみおよびみずから受け入れたあらゆる悪は、避けることができる。どの程度まで出来事があなたを傷つけることができるかは、そっくりあなたにかかってはいないかもしれないが、しかしそれが主としてあなたにかかっていることは確かである。もしあなたがたった一撃であなたのエゴイズムを粉砕する力と、一連の長い因果のスクリーンを見通す洞察力を持っていたら、あなたはあなたの外面的苦労の半分は内面的性格の欠陥と弱さに由来していることがわかるであろう。あなたがあなたの内面的性格の劣等な属性を表出するつど、あなたは外部の出来事にそれを反映させる。あなたの怒り、羨望、憤り、恨みは、もし充分に強く、充分に長く持続すれば、結局は結果として厄介事、敵意、摩擦、喪失、失望を招くであろう。
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 幸運を招く所番地や不幸を招く所番地などはない。もしあなたが特定のある家で一連の不幸に見舞われたなら、それはその番地のせいではなく、あなたのカルマのせいである。あなたの悪いカルマがその時に満期になったのであり、たとえあなたがまったく違う番地のまったく違う家に移ったとしても、そのカルマが惨めな経験となって結実したであろう。
 さて、性格から生じるカルマは、もしあなたの性格が改善されれば、結局はある程度まで改善される。それから、かつてあなたに悲しみをもたらした家に再び移り住んでみるとよい。今度は悲しみをもたらさないことを見出すであろう。そのいわゆる不幸を招く番地は、もはやあなたを傷つけないであろう。
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 すべてのカルマ的傾向が同時に意識内に存在しているわけではない。いくつかはまだ潜在的状態にあり、活動状態にはない。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
運命を左右するカルマの特徴を余すところなく説明しています。噛みしめながら何度も読んでいただきたいと思います。
 
 
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