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 日本史から見た日本人・昭和編
「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎 
渡部昇一・著  祥伝社黄金文庫
 
 憲法改正まで提案した排日運動

 国際連盟が成立した1920年以後、アメリカの日本人移民問題は急速に険悪の度を増したのである。
 まず、それはカリフォルニア州において、日本人の帰化権剥奪の訴訟を起こされたことから始まった。そして大正11年(1922)に米国の最高裁判所は、黄色人種(この場合に問題になっているのは日本人)は帰化不能外国人であって、帰化権はないとされてしまったのである。驚いたことには、この判決はその適用を過去に遡らせるという非近代的なものであった。
 つまり、それまで帰化権を得て米国人になっていた人も、日系ということでその権利を剥奪された。特にひどい例は、第一次世界大戦にアメリカ軍の兵士として兵役に服し、復員後、帰化権を得てアメリカ市民になった500人以上の日本人も、その帰化権を剥奪された。
 さらにジョンソン下院議員(ワシントン州・共和党)は日本人移民を一人も入れないという法案を提出したし、ジョンズ上院議員(ワシントン州・共和党)は、憲法修正案を提出した。
  (中略)
 すでに確立した憲法まで修正して、日本人移民から生まれた子どもは、アメリカで生まれてもアメリカの市民でないようにしようというのだから、すさまじい反日感情である。
 このようなさまざまな経緯があって、ついに大正13年(1924)に、いわゆる排日移民法が、日本の強い反対を無視して成立した。

 
反日感情の源は「恐怖」と「貪欲」

 では何がアメリカ人をして、そんなに日本移民を憎ませたのであろうか。それは第一に恐怖心であり、第二に貪欲である。
 恐怖とは、近代化した有色人の存在はアメリカの白人優位体制を根本から危うくするものであるという予感から生じたものであろう。だから、交渉中の埴原大使が、「帰化不能外国人条項」はおたがいに友好的、互恵的な両国の関係に「重大な結果(grave consequences)」を及ぼすおそれがある、という趣旨の手紙を書いた時、この「重大な結果」という表現は故意に政治化させられてしまった。すなわち、この表現は今日の外交用語では戦争を意味するとこじつけられ、さらにこれは「ベールをかぶせた脅迫状」だと騒がれてしまった。
 これはこじつけである。しかし新聞が騒ぎ出すと、議会に共鳴振動を引き起こして、「これは脅迫だ」ということになった。これは当時のアメリカ議員はそれぞれ日本に対し、心の深い所で脅威を感じていたからにほかならない。
 また、貪欲が排日運動の大きな動機だったことは、ウイリアム・ピーターソンのような研究者が認めるようになってきた。「排日が実益を兼ねる」という事態は、太平洋戦争が勃発するとすぐに作られた「強制収容所」で頂点に達することになる。
 ナチスの強制収容所はconsetration camp と言うが、日系アメリカ人の強制収容所は「再配置キャンプ relocation camp 」である。何のことはない、日系移民が営々と作り上げてきた豊かな農地を、根こそぎ没収する手段にほかならなかった。
 日露戦争前後から35年も続いた排日の歴史は、強制収容所が完結するまでの道程だったといえるであろう。

 
親米・尊米から反米・憎米への大転換

 さすがに大正13年(1924)5月26日、クーリッジ大統領が新移民法、いわゆる絶対的排日移民法に署名したということが伝わると、日本でも反米感情が急速に高まってきた。
 ここで注目すべきことは、日本で反米感情が出てくるのは、アメリカの排日運動より20年近くも遅れていることである。元来、日本人は、本当に親米であり尊米であったのだ。それでアメリカの要望することはなんでも受け容れて、いわゆる紳士協定の後は、実質上は移民を止めていたのである。アメリカは紳士協定を一方的に破り、今の南アフリカ共和国のアパルトヘイトよりもはるかにひどい差別となった。
 アメリカ好きの日本人は、これほどまでにアメリカ人に憎まれていたのかと愕然としたし、憎まれる正当な理由はないと確信していたのである。日本人の間に国民的な怒りが生じたことも理解できる。
 東京のアメリカ大使館の前で割腹自殺して講義する青年も現れたし、新聞界も東京朝日新聞以下、主要な大新聞はこぞって声明文を出した。
 元来は親米・知米的であった学者、思想家、実業家の間にも、反米・憎米の感情が現れた。
 徳富蘇峰は「排日移民法実施の日を国辱の日とせよ」と書いたが、これに対して、キリスト教界の代表的人物であった内村鑑三が熱烈同感している。内村は日露戦争の時も非戦論を説いた人である。その内村がこれだけ腹を立てたのだ。世論だけに関して言えば、日露戦争直前の反露感情よりも強く反米になった。

 
渋沢栄一に見る対米感情の振幅

 その頃、私は渋沢栄一(明治・大正期を代表する実業家)に興味を持っていた。それは、たまたま同翁の『実験論語』という大きな本を、夏休みに帰省した時、田舎の古本屋で見つけて読んだら、無闇に面白かったからである。論語と銘打ってはあるが、維新前後の懐旧談が主になっている妙な本だった。これが機縁で渋沢のものは、ずいぶん読んだ。
 その中に、排日移民法が成立した大正13年(1924)に、渋沢が帝国ホテルで催された汎太平洋倶楽部の例会で行なった講演があった。渋沢栄一は温厚円満な長者として知られ、文字どおり財界の大御所であった。
 この人が次のように言っているのを発見した時、私は再び、戦前の日本の置かれた状況が記憶の中で蘇ってくるのを感ぜざるをえなかった。

 
私は嘉永6年生まれで、もう70歳。数年前に実業界から引退して日向ボッコしておればよい身分なのだが、日本国民としての資格は辞退できないので、ここに一老人の感懐を述べさしていただきたい。日本がアメリカと国交を持つようになったのは私が12歳の時でありますが、私は最初攘夷論者で、その運動に身を投じたのである。というのは、アヘン戦争のことを知り、アメリカも同じことをやるのではないかという懸念があったからであった。
 ところが私が渡米してからずっとアメリカを見ていますと、アメリカは正義に拠り人道を重んずる国であるということを知り、かつてアメリカに対して攘夷論を抱いたことについてはことに慚愧の念を深くした。そして自分の祖国を別としては第一に親しむべき国と思っておりました。特に条約の改正、または治外法権の撤廃その他についてアメリカは親切に処置してくれました。その後も、貿易は輸出・輸入ともにすこぶる順調であり、経済上、政治上、だんだん親密の度が進むのを見て、若い頃に対米攘夷論を抱いていたことを一層深く恥じたのであります。
 また日本からの移民も、カリフォルニアその他太平洋の各州において、アメリカの人々にも喜ばれ、広い荒野を開墾したのは、所謂、天の配剤よろしきを得ていると喜びつつあったのであります。
 しかしそれは束の間の事であって、そこにはしなくも大いに憂うべき問題が起こりました。それはカリフォルニアの排日運動であり、学童を差別待遇しようとすることが起こったのである。実に私は意外の感に打たれたのである。なぜ白人は他の人種を嫌うのかと、攘夷論時代の昔のことを思い出さざるをえなかった。こうして紳士協約ができました。
 その時、小村寿太郎侯爵は、実業界の有志に向かって、「紳士協約はできたが、アメリカとの国交は国民同士の外交でなければならないから、両国民がたがいに往来する途を開きたい。まずアメリカ太平洋岸の8つの商工会議所の人々と連絡をつけたいから、日本の商工会議所も協力して、まず、アメリカから団体旅行を招待してもらいたい」と言われました。それで私どもは何度もサンフランシスコをはじめ、方々の商工会議所から何度も、大勢の人をお招きし、また、こちらからも訪米し、国民外交に協力してまいりました。
 ところがどうしたことか、数年後になると排日土地法が制定され、その目的はまったく日本移民を妨げるためであり、しかもそれは白人の勝手な都合であることがわかりました。地方の政治家が排日を叫ぶことによって衆愚の票を集めようとしているのである。これを見て私は、アメリカ人も、すべてが仁者ばかりでないということを考えざるをえなくなりました。
 その後、アメリカは紳士協約があるにもかかわらず、土地法、借地法など、ますます峻厳に改悪してきてます。ワシントン会議の時は、そこで移民問題を解決してもらいたいと思ったが、太平洋問題を論ずる目的のこの会議にもとりあげてもらえなかった。私は事は重大と思い、国民の使節として渡米し、百方手を尽くしてみたのですが、アメリカ政府は、その問題を協議するための委員会を作ることにも賛成しなかった。
 さらにこのごろになると、絶対的な排日法が連邦議会を通ったそうであります。永い間、アメリカとの親善のために骨を折ってきた甲斐もなく、あまりに馬鹿らしく思われ、社会が嫌になるくらいになって、神も仏も無いのかという愚痴も出したくなる。私は下院はともかく、良識ある上院はこんなひどい法案を通さないだろうと信じていましたが、その上院までも大多数で通過したということを聞いた時は、70年前にアメリカ排斥をした当時の考えを思い続けて居たほうが良かったかというような考えを起こさざるを得ないのであります。


 財界の代表までがこう言うようでは、国民レベルでの親米感の絆は切れてしまったに等しい。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
戦前までは、白人の間に有色人種を蔑視あるいは警戒する気持ちが想像以上に強かったことがわかります。移民してすっかりアメリカ市民として定着していた日系人たちから、新しい法律によって土地などの財産を没収し、強制収容所に入れてしまうという非人道的な行為が行なわれたのです。民主国家を標榜するアメリカの大変な汚点といえますが、それでもコロンブス以降この国が行なってきたインディアン迫害の歴史からみれば、まだささやかなものと言えるかも知れません。問題なのはアメリカの表面上の政府や一般国民ではなく、アメリカという国を裏から支配している世界支配層なのです。いま、アメリカ国民はこの世界支配層によって国を完全に乗っ取られ、国民は貧困化の道を歩まされており、その同じ構図が日本でも展開されつつあるのです。
 
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