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 「戦後」混迷の時代に
 日本の歴史F 戦後編
渡部昇一・著  WAC
 
 
 今も続く遠大なる陰謀

 コミンテルンの特徴は遠大なる計画を持っていたことにある。有史以来、各国に王朝があったが、その王朝を潰し、世界から政府をなくし、国家をなくすという壮大な計画を持った組織はそれまでなかった。
 あまりにも壮大な計画だから、普通の国では、どうして今、自分の国でこのようなことが起こっているのかがわからない。すべてが壮大な長期計画の下の陰謀なのである。
 中国共産党の毛沢東が大躍進政策に失敗して何千万人もの農民が餓死したような時でさえ、宇宙開発、原子力爆弾の開発、海洋進出という、アメリカが得意とするものすべてに追いつけという命令だけは出している。
 田中角栄内閣の頃の中国の一番の敵はソ連だった。だから中国は、日本と手を結びたかった。日本がアメリカと日米安保条約を結んでいるのも非難はせず、田中角栄首相を招いてアジアにおけるソ連の覇権は認めないという条約を結ばせようとした。日本はそれに乗らなかったが、つまりは、毛沢東はソ連が怖かったのである。
 その後、ソ連が解体すると、次の敵は日本だということで江沢民がまた遠大なる計画を立てる。日本は日本の歴史を否定した占領政策に乗っているから、そこを突いていこうというわけで、歴史問題を中心として日本を貶(おとし)める作戦を練った。
 そして次に、世界的に日本を孤立させるという計画を立て、アメリカと日本が戦争をした時、中国はアメリカと一緒に戦ったと言い出した。太平洋での戦いの後、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも中国共産党軍はアメリカの敵になっているのだが、ソ連解体後はそんなことは忘れたかのように、中国は大東亜戦争を持ち出してくる。日本は蒋介石と戦っているわけだから、中国共産党軍などはあまり関係なかったにもかかわらずである。
 アメリカ下院で決議案が可決された「従軍慰安婦」問題や南京に関する映画製作の後ろで暗躍している世界抗日戦争史実擁護連合会(以下、抗日連合会と略す)という組織は、ソ連解体の2年後ぐらいにできたものという。日本を攻撃するにはアメリカ経由が効果的だということで、アイリス・チャン(2003年に拳銃自殺)に金を渡して『ザ・レイプ・オブ・南京』を書かせ、映画にまでした。彼女も抗日連合会のメンバーだったし、そのインチキ本をベストセラーにしたのも抗日連合会の力だった。

 
50年の反日教育の証拠

 日本がポツダム宣言を受諾して占領軍がやってきた時、イギリスのある新聞が、「日本は今、すべてが混乱の状況にある。ただ一つ、安定しているのは天皇である」という主旨のことを書いた。
 天皇陛下は戦後、日本中をまわられた。これはすごいことだ。どこの国でも、敗戦国の皇帝は命が危ないので、殺されるか逃げ出すかどちらかである。しかし天皇陛下はSPもつけず、農村にも工場にも炭鉱にも、どこにでもいらっしゃった。
 今のようにどこにもホテルがある時代ではないから、県庁の会議室だとか汽車の中などに泊まられて日本中を巡幸された。
 私はそれを実際に体験している。昭和22年(1947)だったか、夏休みに川に泳ぎに行ったら、向こう岸の土手の上に見たこともない自動車が3〜4台現れた。最初は不思議に思ったが、「今日は天皇陛下がいらっしゃる」と新聞に書いてあったことを思い出した。
 そこで土手をのろのろ走る車に追いつこうと、我々少年たちは、さすがにランニング・シャツを被ったものの、下はふんどし姿で下流の橋まで走っていった。橋のたもとで車をお待ちし、天皇陛下に触ることもできたのだが、畏れ多いので、私は陛下の車に触った。
 そんなことをしても、天皇陛下ご一行からは何のおとがめもなかった。終戦直後はこのような状況だったのだ。
 空爆され、原爆を落とされ、また戦地でもあれだけの人が亡くなったにもかかわらず、天皇陛下に対して恨みを持った人は誰一人としていなかったことがわかる。
 当時の人は、偉い人たちが打つ手を間違ったかもしれないが、天皇陛下が戦争をなさりたかったわけではないということを皆、わかっていたのである。
 しかし、天皇陛下が亡くなられた時の大喪の礼に、どれだけの警備が必要だったか。何万人もの警官が並んで警備したにもかかわらず、途中で揉め事が起こったりした。
 戦後、左翼が50年間にわたる教育で、天皇陛下が悪かったと子供たちに刷り込んだため、亡くなられた時は重警備なしではお葬式を執り行えない事態になってしまった。
 これは恐ろしいことである。半世紀にわたって、いかに左翼が反日教育を徹底したかがわかる。
 敗戦を受けて、天皇陛下は退位すべきだったという議論がある。しかし私は、退位されなかったことがよかったと思う。
 よく事情を知らない外国人に、大東亜戦争は日本の侵略戦争だ、日本が悪かったと言われた時に、でも天皇陛下は裁かれていないと言えるからだ。会話の時に、いろいろ説明もできないので簡単に一口で言えることがあると便利である。ドイツで「ナチスは裁かれなかった」と言えないであろう。天皇は日本の元首であったのに裁かれなかったと言えることは、実に尊いことだったのである。
 私が西ドイツにいた頃、ドイツ人に「日本には天皇という人がいたがどうなったか」と聞かれた。ドイツ人にしてみれば、どこかに逃げたか殺されたと思っているわけだ。そこで私が「まだ戦争の時の方と同じ方が天皇ですよ」と言ったら、驚愕していた。
 天皇陛下がマッカーサーにお会いになる時、マッカーサーは命乞いに来たのではないかと思ったがそうではなかった、というのは有名な話だ。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
東日本大震災でも発揮された日本人の秩序正しい行動は、世界中の人々が驚嘆し、絶賛するところとなりました。この本を読みますと、それはもともとの日本人に具わっている資質とも言える特徴であることがわかります。いま明治維新と太平洋戦争によって、その日本人の資質を劣化させようという「世界支配層」の試みが、ある程度功を奏しつつあるように見えますが、日本人の集合的無意識を根こそぎ変えてしまうまでには至っていない気がします。
 しかしながら、最近の教育現場の荒廃ぶりなどから判断して、民族劣化は加速しつつあるように思いますので、やがてこの国も世界の国々と肩を並べて、利己主義(自分中心主義)と拝金主義に毒された国民が大半を占めるようになることでしょう。とすれば、やはり「世の立て替え・立て直し」は避けられないような気がします。
コミンテルンを裏で操っていたのは今日の世界支配層(国際ユダヤ)だろうと思われます。コミンテルンが創設されたのは大正8年(1919)で、大正11年(1922)には「コミンテルン日本支部」として日本共産党が発足しています。その日本共産党が、発足したばかりの時に打ち出した「22年テーゼ」の中に「天皇制の廃止」ということが謳われていたのです。以後、日本の皇室がコミンテルン(を裏で操る組織)の標的となり、その後の太平洋戦争を経て、昭和天皇の「人間宣言」となり、今日のように皇室を軽んずるマスコミの風潮が作り出されているのです。世界が絶賛してきた日本の皇室もいまや風前の灯となっています。今後も皇室はマスコミによってさらに貶(おとし)められていくことになるでしょう。「世界中から王朝をなくし、政府をなくし、国家をなくす」という世界支配層の息の長い戦略が、いよいよ日本の皇室の破壊によって総仕上げの段階に入っているのがわかります。これからの日本の皇室の行方にはぜひ注目していただきたいと思います。
 
 
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