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 驕れる白人と闘うための
日本近代史
松原久子・著  田中敏・訳  文藝春秋
 
 初代イギリス駐日公使・オールコックが見た日本

 「開国した時の日本は遅れた未開の国であった」という考えが、欧米人の深層心理の中に、なぜこれほど根強くあるのか、この疑問についてもう少し考察したい。
 この疑問は、直ちに次の疑問へつながる。当時ヨーロッパやアメリカからやって来て、二百年以上も国を閉ざしていた日本を実際に見た人たちは、いったい何を見たのだろうか。何も見なかったのだろうか。
 とんでもない。彼らの多くはしっかりと観察し、その印象について詳細に報告している。
 開国当時の最も興味ある目撃者といえるのは、ラザフォード・オールコック卿である。彼はイギリスの初代駐日公使だった。公使館は、江戸の中心部近くの寺を、ヨーロッパ人に快適なように改造したものだった。
 当時の世界の力関係を考えても、彼は大変影響力を持つ重要な立場にあった。オールコックは、初回の欧米の駐日外交官(アメリカ人、イギリス人、フランス人、ロシア人、オランダ人)の精鋭の一人であった。彼は江戸と大坂の開市、兵庫と新潟の開港を要求し、外国連合艦隊の下関砲撃などを主導した。オールコック卿の在任期間は1859年から1864年までである。彼は決して、フェノロサやラフカディオ・ハーンのような日本愛好家ではなかった。
 「異教徒の大都会で、私は生活しています」と彼は書いている。
 「私は、半分文明化されたアジア人の中で、日々を過ごすことを強いられています。異なった種類の人間たちの間で、数え切れないほどたくさんの見慣れない顔に囲まれて。私のわずかな随員たちも同じ意地悪な運命の犠牲者です」
 オールコックは、当時最大の植民地保有国の外交官として、自分の役割に忠実であった。彼は全てに優先させて国益を念頭においた。当時の日本について記した著作には、思わず意に反して吐露してしまった感嘆と、植民地王国の矜持とがない交ぜになっている。彼は書いている。
 「将軍の都は心を奪われるほど美しい。冬でさえも。都は広大な谷の間に、危険を避けて身をかがめるように横たわっている。波を打つような丘陵を背景にした緑の森に囲まれ、丘陵は湾へとゆるやかに傾斜している。その湾の奥深くに、太平洋が磯に砕け散る激しい波を注ぎ込むことはできない。というのは、湾の入り口のおよそ20マイル前方に、火山岩が自然の防波堤を積み上げ、入り口の両側は緑の丘になっているからである。また湾全体は自然の浅瀬で、船底が20フィートの水深を必要とする戦艦では、砲撃に不可欠な20海里の近さまで都に接近するのは、困難だと思われる。世界の港都の中で江戸のように海側から攻撃するのが難しい都市は少ない」
 「ヨーロッパには、江戸のように沢山の素晴らしい特質を備えている都はない。また、町のたたずまいと周囲の風景のこのような美しさを誇れる都もない。そして江戸ほど征服し占領するのが難しい都も、他には見あたらない。ペルシャ王クセルクセスの軍隊のような強力な大軍を編成すれば別だが。将軍の居城のある町の中心部の官庁街は、重要な区域であるが、ここはあまりにも広大な地域であるから、仮に占領はできても、その後、安全に確保し続けることはできないだろう。ヨーロッパの指揮官は、誰も江戸のような町を襲撃して占領するだけの自信がないだろう。敵対心を持った住民のもとでは、町は軍事的に持ちこたえられないだろう、たとえ1つか2つ橋頭堡を築くことができて、そこから町を容易に破壊することができたとしても」
 この胸中を明かした一節は、オールコックが一時帰国後、1863年にロンドンとニューヨークで同時に出版した日本滞在記『大君の都』の中にある。
 この本は、東アジア地域における欧米列強の権益拡大に強い関心を持っていた一般大衆を、大いに啓蒙した。
 アヘン戦争があったのは、この本が出版されるわずか20年ほど前のことである。北京政府は、イギリスの東インド会社をはじめとする欧米の商社が、国内に大量のアヘンを持ち込むことに抵抗した。そのため大きな海港のいくつかが、イギリス艦隊の砲撃を受けて壊滅した。アヘン戦争に敗れた北京政府は、アヘンの輸入を妨害しないという保証も含めて、広範な貿易を容認しなければならなかった。このことが欧米の植民地利益の発展に、有利な効果をもたらしたことはいうまでもない。
 ということを考えると、ここにオールコックの著作から引用した一節は、たまたま戦略的な問題に関心を抱いていたヨーロッパの一外交官の個人的な印象以上のものであったことは確かである。
 図らずもオールコックのこの一節は、日本にキリスト教を伝え、後に聖人の列に加えられたスペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが、これより300年以上前に、日本について記していたことを思い出される。ザビエルは、「日本人はみな用心深く、我々ヨーロッパ人が知っている武器は全て製造することも使うこともできる」と書き、日本は軍事力で征服を試みるには適さない対象である、と付け加えている。
 オールコックは聖人ザビエルよりもさらに細部に立ち入っている。北海道の鉛鉱山に視察旅行をした際、彼は採掘される鉛の量が多くないことに注目した。「これが日本人の使う全てであるとすれば、それは大変少ない」と書き、「このことは、兵隊が銃砲の実戦教育のために使う実弾射撃の消費量が驚くほど少ないことを意味する。この事実は欧米列強に無関係なことではない、記憶にとどめておくべき事実である」としている。オールコックは、鋭い論理性、高い知能、そして植民地化に情熱を抱く時代の精神に応じた鋭敏な嗅覚を備えていた。
 江戸が軍事的に征服不可能な、あるいは征服したとしても長年にわたる占領は不可能な首都であるという報告は、その可能性を再三検討していた列強の思惑をうかがわせる。
 またオールコックは、開国したばかりの江戸の町中を馬に乗って見物して回った。冷静沈着なこのイギリス人が冷静沈着に観察した結果は、次の通りであった。
 「表面的に見れば、日本は封建国家である。比較するとすれば、ヨーロッパの歴史では12世紀が該当すると思われる。ところが実際に今、我々がこの国で目にするものは、12世紀のヨーロッパにはどこにも見られないような平和と物質的な豊かさ、そして人々の満足した顔である」
 「……200万以上の人口を持つ江戸は、恐らくヨーロッパのどの首都にもないものを持っている。例えば、最高に手入れが行き届いた道路である。道路は中心部から全ての方向に放射状にのびている。木の茂る丘の上を通り、気持ちの良い窪地を突っ切り、常緑樹の見事な大木が影を落とす並本道へと続く。町の中心部でも、特に役所の塀に沿った大通りや、田舎へとのびている道路際に、他の大都市には見られない野原や、広大な寺院の庭や、木がたくさんある公園などがあって、我々の目を楽しませてくれる」
 「……郊外へ出ると、道に沿って生垣が見えてくる。手入れの入念さは英国の生垣に引けを取らない。大きな果樹園があちこちにあって、枝を水平に伸ばした桃、梨、梅の木が列になっている。春には枝は満開の花でいっぱいになる。みかんの木には強烈な香の白い花が咲く。真っ黄色のひるがおの花が、掘立て小屋や作業場までも美しく覆っている。郊外に点在する茶庭には、花を愛でるために桜の木が植えられている。……日本人は花の咲く4月にはそういった茶庭や寺の庭へ、いかにも楽しそうに出かけて行く。一家総出で、男も女も子どもたちも。彼らは並本道を通って庭や寺に行き、満開の桜を楽しむ。……どの道も清潔である。ごみ一つ落ちていない。ときたま見かける物乞いの仏僧を除けば、不快な人の姿を見ることもない。江戸は、私が訪れたことのあるアジアの国々とは、そしてヨーロッパの少なからぬ大都市とも、強烈な、そして快い対照をなしている」
 「我々は爽やかな朝の空気の中、干潟を横切って足早に歩いた」とオールコックは田舎の旅を記述している。
 「左には海が見え、海の上には太陽が昇るところだった。右にはまだ露に包まれた山々が、遠くに連なっていた。鶴が水田のあちこちにいて、小さいうなぎか何か餌を取ろうとしている。うまく捕まえることができると、それを飲み込むのだが、飲み込まれる方は激しく抵抗する。……我々が沿って歩いて来た池には、何千羽もの野生のガチョウと鴨が泳いでいた。彼らは猟師や犬を警戒しないので、我々がすぐ近くまで行っても平気である。狩猟家にとっては何といまいましい光景だろう。まことに残念だ。ここでは法律によって狩猟が禁じられている。鳥たちはそのことを知っているようだ」
 「2日後に我々は箱根の山の麓に着いた。海抜約二千メートルである。この景色ほど美しいものがあるだろうか。細かい砂利が敷き詰められ、舗装された街道が、肥沃な谷間を通っている。そこには稗、蕎麦、稲などが豊かな収穫を約束している。豊穣な土地、良い気候、勤勉な国民、国が豊かになるために必要なものは全て揃っている」
 オールコックは、江戸と経済の中心地である京都・大坂を結ぶ東海道に、人と商品の往来が途絶えることがないのを見た。そして、ある宿場に泊まった時の体験を次のように書き綴っている。
 「親切に世話をしてくれたその男は、一生懸命工夫して、腰掛けることのできるものを即席で作ってくれた。というのは、我々ヨーロッパ人は足を組んだり交差させたりして床の上に直接座ることができないからである。日本人には天分がある。あっという間に、あまり費用を使わずに、簡単な材料で十分使用に耐えるものを作ってしまった。それは大変な才能である。宿屋の主人は半ダースの木の桶を持って来て、その上にそれぞれ一枚の板を釘で打ちつけ、その上に綿の入った座布団2枚を椅子のシート代わりに固定した。彼はあっという間に、大した費用をかけずに我々西洋人がキリスト教徒らしく座れるものを作ってくれたのだが、それを見ているのは実に楽しかった」
 オールコックの本から長々と引用したのには、2つの理由がある。まず1つは、日本人の生活や行動について、目に見えるように具体的で詳細な記述をしている点で、他を凌駕していると思うからである。2つ目は、彼が信用に足る過去の重要証人であるから。なぜならば、彼は日本のこの時代を終わらせるために行動した一人だからである。
 国土が美しいこと、道路、家々、庭、田畑の手入れが行き届いていること、人々が豊かなこと、日常の生活が活発なこと、日本人は器用であること、楽しそうで満足していることなどを全て、オールコックは自身の目で見て詳述している。にもかかわらず、彼は、日本人は能力を持った民族で、そのバランスのとれた文化と生き方は、イギリスやヨーロッパ文化圏と比べてもなんら遜色のないものであるという結論に達することはなかった。
 そういった考えは彼の本のどこにも、それを暗示するような片鱗さえも読み取ることはできない。道路際の生垣がイギリスの生垣と同じように入念に刈り込んであっても、道路が清潔で、ヨーロッパのどの首都の道路よりも手入れが行き届いていても、人々の外見や、お互いの付き合いの仕方に洗練さが感じられても、楽しげで平和な文化を感じ取っても、オールコックには、彼らはやはり自分たちとは本質的に異なった奇妙な民族でしかなく、そして何よりも異教徒に過ぎなかった。
 「日本人は子孫へと世代を重ねて、希望のないいつも同じ運命をたどっているだけである」と、オールコックはその本の中に書いている。「彼らは偶像崇拝者であり、異教徒であり、畜生のように神を信じることなく死ぬ、呪われ永劫の罰を受ける者たちである。畜生も信仰は持たず、死後のより良い暮らしへの希望もなく、くたばっていくのだ。詩人と、思想家と、政治家と、才能に恵まれた芸術家からなる民族の一員である我々と比べて、日本人は劣等民族である」
 率直で不気味なこの言葉は、1860年頃のヨーロッパの知識人の大多数を支配していた時代精神を忠実に反映している。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
著者の松原氏はドイツ在住の日本人です。著者あとがきには、「この本は1989年にミュンヘンで出版され、その年の国際書籍見本市で大きな話題になった」と書かれています。なぜ話題になったかと言えば、この本は「白人の持つ誤った優越感を挫く」ために書かれた本だからです。「同時に(白人に対して)日本の歴史水準に対する再認識を迫るために書いた」とも述べられています。私もこの本は「日本人が近代日本を正しく理解するための必読書」と言ってもよいと思っています。戦後、白人が支配する国・アメリカによって歴史を書き替えられ、洗脳されてしまっている今日の日本人の目を開かせる内容が、全16章に渡って書かれています。どの章を読んでも「なるほど!」とうなずかされる内容となっています。本日ご紹介したのは第6章の一部を抜粋したものです。
 
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