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 運命好転の法則
 謝世輝・著 こう書房
 
 物がなければ「知施」を行なえ

 人にお金やモノを施すだけの余裕がない人は「良いタネ」はまけないのか。あるいは、お金やモノによってしか、お金の願望を達成する助けとなる施しはできないのか。経済的に恵まれていない人は、当然のことながらそんな疑問が湧くであろう。しかし、心配するには及ばない。お金やモノは、布施の一部ではあっても、けっして全部ではないのだ。
 仏教では、物施、知施、法施の3つの布施を教えている。物施とは、お金やモノを他人に施すことで、布施はこの物施にほかならない。
 では、知施とは何か。相手の人が、いま必要としている知識を与えてあげることである。知識というと、すぐ学問的な専門知識だと思い、「おれは学がないからダメだ」などと言い出す人がいる。が、ここで言う知識は、いわゆる学問的な知識とは何の関係もない。むしろ「知恵を貸してほしい」と言うときの知恵に近く、相手を助ける言葉・助言はすべてこの知施に入る。
 そうとわかれば、誰でも一度や二度、すでに他人に知施を行なった経験があることに思い当たるはずである。もしひとつも思い当たらなかったら、今日から実行すればよい。いくつも思い当たる人は、ここで知施の意味と効用を自覚し、さらに積極的に実行するように心がけることである。
 困っている人に助言してやり、勇気づけたり悩みを解消したりしてやることは、お金やモノをあげるより尊い行ないである。1万円のお金は1万円の価値しかないが、ひとつの助言は相手の一生を左右し、ときには命を救うことにもなる。つまり、ひとつの知施を行なうことは、莫大な金額の物施を行なうのと同じことなのだ。お金の願望を達成したい人こそ、ふだんの生活のなかで積極的に機会をとらえ、より多くの知施を行なっていただきたい。

 
「法施」はもっとも良いタネをまく

 知施は物施より効果があり、法施は知施より価値が高い、と仏教では言っている。私流に言えば、われわれ人間に共通の潜在意識である「宇宙の心」に、もっとも「良いタネ」をまき、願望の達成をいちばんよく助けるのが法施である。では、法施とは何を施す行ないなのか。法施の“法”は真理を指し、人に真理を悟らせて、相手の心を助ける行ないのことである。
 こういうと、「自分は凡人で、真理などわからない。だから、人に悟らせることもできず、自分とは縁がない」と思う人もいるであろう。が、この場合も、そんなにシカツメらしく考える必要はない。たとえば、法華経の無量義経という経典の中でも、「いまだ自ら度すること能わざれども、正に能く彼を度せん」と言っている。
 訳せば、「まだ自分には多くの欠点があり、十分に真理を悟っているとはいえないが、それでも相手を十分に助けることができる」。一見、おかしな言い方に思えるかもしれないが、「真理を十分に悟っていない人でも、わかっている範囲で人に説けば、相手が真理を悟るキッカケになる。また、人に話していると自分の欠点や足りない部分に気づき、自分も進歩する」と教えているのである。人生の諸問題について悩んでいる友人、知人がいたら、自分が知っている範囲で真理を話し、相手を助けてやることが「良いタネ」をまく結果になる。
 しかし、「良いタネ」をまいた報酬は、自分が施した相手からくると期待してはならない。「見えざる真理」のはたらきは、つねに人知を超えており、報酬はいつも思わぬ方法で、思わぬところからくるものである。
 
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