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 新しい哲学を語る
 梅原猛・稲盛和夫 PHP
 
 子どものころに「偉大なもの」に触れる大切さ〜稲盛

 梅原先生も私同様、小さいころに受けた体験が、人生や思想形成に大きく影響しているのでしょう。とくに、宗教を信じる、あるいは信仰を持つようになるには、幼いとき、つまり、物心もつかない、いわば純粋なときの体験が重要になるのかもしれません。
 たとえば、私の場合、子どものころに、「隠れ念仏」を通じて、「なんまんなんまん、ありがとう」という言葉を教わりました。これは「南無阿弥陀仏」という浄土真宗の念仏の言葉ですが、たんに仏に感謝するだけではなく、自然やこの宇宙をつくった創造主に対する感謝の気持ちをも表しています。
 「サムシング・グレート」というべきか、偉大な存在に対し、感謝し、畏敬する気持ちのことです。これは宗教、宗派を超えて、人類に普遍的に通じる考え方だと私は思うのです。
 「宇宙を宇宙あらしめている偉大な存在があり、それがあなた自身をもあらしめている。それに対して、あなたは素直に感謝し、畏敬しなさい」。この一点だけでも、子どもに教えることが大切だと私は思います。それなのに現代の教育現場では、宗教にかかわるものはいっさい教えてはならないとされています。
 特定の宗教を教える必要はありませんが、宗教が伝えてきた、崇高な存在への畏怖の念を伝えることは、子どもたちの倫理、道徳を養ううえで必要なことではないでしょうか。
 またもう一つ、子どものころに苦労をしたり、挫折をしたりする、そんな「試練」も、人間の心をつくっていくうえでは大切になってきます。
苦悩というのは、人間を育てるために不可欠な栄養素なのです。しかしいまは、この「試練」を通じた人間形成の教育も行なわれていません。
 子どもたちは、食べるにしても、おもちゃを買ってもらうにしても、ぜいたく三昧に育っています。そのようにして苦労を知らず、甘やかされて育てられる子どもは、将来のことを考えれば、むしろかわいそうであり、その子どもが将来を担うであろう社会を考えるとき、大きな不安を感じます。
 豊かになったことを否定するわけではありませんし、いまの子どもたちに、われわれと同じような経験をさせることはできません。しかし、豊かになったことで、われわれが子どものころに味わった苦労や挫折を体験することができなくなっているなら、それに代わる人間形成の機会を別途考える必要があると思うのです。

 
戦後、衣食足って、礼節を忘れた日本人〜梅原

 私は戦中派ですが、戦中派というのは、みなたいへんな挫折を被っています。昭和20年の敗戦を境に、いままで善とされていたものが、すべて悪になりました。逆に悪だったものは、すべて善に変わります。価値が大きく変化したのです。そんな体験をしますと、道徳というものがあまり信じられなくなります。そこから、一種のニヒリズムが出てきてしまいます。
 一方で、戦後はみんな、非常にお腹をすかせていました。「腹いっぱい食べたい」という気持ちを強く持っていました。そこから「お金を儲けて生活をよくすれば、腹いっぱい食える。それだけは信じられる」と、そんな無神論が出てくるのです。われわれの世代は、そんな考えのもとで努力して、戦後の日本の繁栄をつくってきたのです。
 その結果、どうなったか。よく「衣食足って礼節を知る」といいますが、「衣食足って礼節を忘れた」になってしまったのです。福沢諭吉は、近代社会をつくれば、独立自尊の礼節を知る人間ができるといっていましたが、そうではなかったのです。近代化した結果、日本は独立自尊の精神の欠如した礼節のない人間ばかりを育てたのではないでしょうか。
 
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