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 三つの鏡
(ミヒャイル・エンデとの対話)
 井上ひさし/安野光雅/河合隼雄
朝日新聞社
 
 エンデ この宇宙には、人間以外にいろいろな叡知存在が実在しています。現代のいわゆる啓蒙された意識を持つ人間にとって、このことは実は非常に重大です。新しい方法によって、目に見える存在だけでなく、見えない諸々の存在をはっきり認識することは現代の知的人間たちには絶対に必要なことです。
 
安 野 私が言った悪魔とは違いますが、悪魔にもいろいろあるでしょうからね。
 エンデ 私のは擬人化された悪魔、たとえ話としての悪魔ではありません。
 
安 野 人間がこしらえた悪魔と、初めからいる悪魔とに分けましょう。
 エンデ いいえ、分けられません。本当に実在しているいろいろな叡知存在やその他の存在、それは人間の五感ではとても知覚できないし、それが善なる存在か、悪なる存在かを見分けることもむずかしい。目に見えて知覚できる自然界のほうも非常に複雑で、とても説明しつくせないものですけれども、もう一方、目に見えないほうの世界についても、それはそれは複雑多様で説明できません。
 ただ人間は、見えない存在があることを知るにせよ知らないにせよ、見えない存在たちとしっかりかかわりながら生きている事実があります。こんなふうに申し上げる私の世界観を、魔術的世界観というふうにご覧になりたければ、それでも結構です。すべてが知的に説明できることを前提にした現代一般の世界観とは、私は絶対に相容れない立場を取っています。
 
安 野 では言いますけれども(笑)、悪魔というのは、人間にとっては悪いやつですね?
 エンデ 人間が人間であろうとするのを妨げている存在です。
 
安 野 困った存在です。できれば、いないほうがいいでしょう?
 エンデ いや、むしろ必要な存在です。
 
安 野 何のために?
 エンデ 抽象的にならないように、一つ例をあげてみましょう。嘘というものがもし存在しないとしたら、真理とは何かという意識を私たちは持ちえないでしょう。私たち自身が何者であるかが分かるためには、つねにわれわれを人間であることから妨げる存在と闘う必要があります。その意味では悪魔は必要な存在なんですが、これで答えになったかどうか……。
 
安 野 私の考えているのと非常に近いですね。もっと漫画的に言いますと、神様に一番役に立っているのは悪魔だと思います。なぜかと言うと、神様がありがたいのは、悪魔がいるからです。つまり、悪魔は、われわれ人間を、神を信じるように、神のもとへ追い立てています。だから悪魔は一番神様のためになっています。悪魔がいなかったら、おそらく教会へ行く人もいなくなるでしょう。
 エンデ いま、一番微妙な神学の問題に触れていらっしやいますね。(笑)神が善い存在だとする。しかし悪魔も神によって造られたはずだ。ではどうして神は悪魔までも造ったのか、という問い。これは教会史始まって以来、続いています。そして論理的に帰結すれば、神は善くない存在だということになってしまいます。
 
安 野 昔のキリスト教の論争ですね。
 エンデ だけど、私たちが善とか悪とか言っているのは、純粋に人間側のモラルの問題ですね。ところが神は、いま私たちが考えているような善悪のモラルに基づいて世界を造ったわけではない。モラルが世界を造るなんてありえない。サソリとか虎は悪ではありません。けれども獲物を食べます。
 西洋思考の持つ根本的な誤りは、善と悪とをモラルとして二極対立させてしまったところにあります。だから、神を光で表し、悪魔を闇で表すのは奇妙な二分化癖です。なぜ闇も光と同じように神聖なものではありえないんでしょうか。光と闇と両方がなければ色彩が生じえない。光だけで成り立つ世界というのは、闇だけで成り立つ世界と同じように、何も見えない、知覚できない世界ですよ。
 
安 野 おっしやることはよく分かります。何でもそうですが、光と陰、神と悪魔、右と左というような相対的なものは、両方で一つのセットになっています。
 
エンデ ヨーロッパの一神教という考え方は非常に誤解されがちです。あたかも宇宙のどこかの中心に一人のおじいさんがいて、「ああしろ、こうしろ」と命令を与えているかのように受け止めている。そもそも本来の一神教というのはそれとは違って、むしろ古代アジアの考え方と近いものです。つまり古代の数学では1というのは最大の数でした。2はそれより小さい。なぜかと言うと1は結局すべての対立を、より大きな統一性、一体性の中に、非常に大きな調和の中に入れ込む数字です。この全体性が1で、これを神、最高の存在と呼んだわけです。
 二元性がすでに悪魔です。私たちがつねに二元的に考えざるをえなくなった事態こそが悪なのです。そう思って見直すと、悪魔は神に対立するものではなく、自己自身の中に二極対立が生じることが悪魔です。
 
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