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 自助論
 
 サミュエル・スマイルズ・著 竹内均・訳
三笠書房
 
 
 「敗戦処理」によって人間は鍛え上げられる

 「敗北は勝利にもまして将軍を鍛え上げる」とよくいわれるが、これは真理をついた名言だ。
 たとえばワシントンは、アメリカ独立戦争の総司令官として最後には勝利を得たものの、負け戦さのほうが多かった。古代ローマ人は幾多の戦役で大勝利を収めたが、最初は必ずといっていいほど敗北を喫している。フランスの将軍モローにいたっては、同僚からいつも「おまえは太鼓みたいなやつだ」と冷やかされていた。大鼓は打たれた時しか音が聞こえないが、彼も敵に打ち負かされた時の話しか伝わってこないというのである。
 名将ウェリントンもまた、実につらい困難と闘いながら軍人としての能力を完成させていった。大きな困難は、かえって彼の決意を強め、すぐれた資質をいっそう磨き上げる結果となった。
 困窮は、きびしいけれど最良の教師である。逆境に置かれたり苦難を体験したりするのは、考えただけでもゾッとする話だ。だが実際に逆境と向き合うハメになったら、勇猛果敢に闘わねばならない。むしろ逆境の中でこそ、われわれの力は発揮される。
 「受難は天に登るための階段だ」という古いことわざがあるが、ドイツの作家リヒターは次のように語っている。

 「人は貧困に苦しめられるとぶつぶつ不平を漏らす。だが、貧困とはいったい何であろうか? 乙女はイヤリングをつけるために痛みをこらえて耳に穴を開けるが、貧困もこの痛みに似ている。それなしには美しい宝石をぶらさげることなどできないのだ」

 逆境は、貧困に打ち勝ち障害を乗り越える勇気を与えてくれる。成功や繁栄のほうが、むしろ人間にとっては危険なワナとなる場合が多い。世間の冷たい風に外套を吹き飛ばされるのは、心の弱い人間だけだ。ふつうの人間は逆に、太陽から暖かすぎる日差しを浴びると外套を脱ぎ捨て、そのままどこかへ置き忘れてしまう。その意味では、逆境の中で耐えるより幸運の中で耐えるほうが、はるかに強い自制心を必要とする。成功したおかけで、寛大な気持ちを発揮しはじめる人間も中にはいるが、多くの人はそうではない。卑しい心の持ち主は、富を得れば得るほどいっそう愚劣で傲慢な人間になっていく。
 このように、繁栄はともすればうぬぼれの心を増長させるだけの役にしか立たない。決意を固め不屈の勇気を奮い起こすには、逆境に身を置くほうが有益ですらある。政治思想家バークは次のように語っている。

 「困難と闘いながら、人間は勇気を高め、才能を磨き上げていく。われわれの敵は、実はわれわれの味方なのだ」

 困難に直面する必要がなければ、人生はもっと楽になるだろう。だが、安逸な人生を送る人間など一文の値打ちもない。苦しい試練こそが人格を鍛え上げ、自助の精神と有意義な自己修養の機会を与えてくれるのである。
 
 
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