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 魂世紀
田岡満・著 学研
 
 肉体は神気の「扉」だ

 肉体人間というのは、霊の側から見ると、実に不完全で、頼りなく、鈍感で愚かな存在に見える。実際、古来よりなされてきた数々の霊界通信は、肉体人間は未熟だということを、くりかえし主張してきた。
 しかしこの主張も、実は非常に重要な一点を見逃している。肉体人間には、霊界その他の異次元空間に転移した霊的存在には絶対に得ることのできない、最も重要な特性が備わっているのだ。だからこそ肉体人間は、この多次元空間宇宙内で唯一神界の見える現界に存在することが許されているともいえるのである。
 では、その肉体人間のみが持つ特性とは何か?
 先に私は、魂は「神の通路」だと書いたが、ここでもうひとつ、極めて重要な事実を記しておく。
 魂の通路を通った神気――あるいは“神の光”は、肉体身を通って出入りする。霊体でも幽体でもなく、この、古来、罪穢れのかたまりのようにさげすまれ、非難され続けてきた肉体身を通してのみ、出入りする。
 だからこそ肉体人間は、知性の面でも、悟りの面でも、数々の霊能面でも、感性感覚の面でも、霊界霊に比べると劣っているにもかかわらず、三千世界内で最も重要なポジションにいるのであり、あなたの前生である守護霊が、その全存在をあげて守護しているのである!
 皆さんは次のことを、不思議に思われなかっただろうか。
 霊界賛美者は、霊界ほどすばらしい世界はない、死ねば永遠の幸福が待っていると口をそろえる。ならば、それほどすばらしい霊界に入った者が、なぜ不自由な肉体に憧れるのか? なぜ必死になって転生したがるのか? 不浄だ、低級だ、波動が荒いとケチばかりつけているこの地球世界――肉体世界への転生を、なぜ渇望するのか?
 その根源的な理由はひとつしかない。それは肉体身というものが、神の出入りする扉――私のいう「自己扉」だからだ。そのことを、霊体や幽体は、あるいは知らないかもしれない。しかし、本体――すなわち彼らの魂は、肉体身の意味を知っているのである!
 だからこそ彼らは、熱心に転生したがる。まして今、神界は開いた状態にある。魂の汚れを落とし、神の通り道の詰まりをなくした人の肉体身は、神気を通しうる状態にある。これほど価値のあるものは、今の時点では肉体身以外ない。だからこそ激しい肉体身の争奪戦が始まっている。有史以来、類を見ない猛烈な勢いで人口が急増しているのである!!
 こうした事実を明言した者は過去一人もいなかった。なぜかというと、神界が閉じていたからである。私がこのことを知ったのは、たまたま神界が開いたという事実を知ったからにすぎない。まったくの幸運にすぎない。
 しかし、今まで私が述べてきたことを、恐るべき感性の感覚力で、ほぼ的確に感じとり、後世人に伝えた人物が、有史以来ただ一人いた。その人こそ、本当の意味での覚者というにふさわしい。
 その人とは、釈迦であった。釈迦は、「人身得がたし」と言った。人身――肉体人間としての生は、まことに得がたいものなのだ。しかしそのことを本当に自覚している者は、あまりにも少ない。いや少なかったと過去形で言うべきだろう。
 なぜなら今、人類はようやく肉体身というものの重要性に――いまだ潜在意識のレベルとはいいながらも――気づき始めたからである。
 人類が肉体身に目を向けだしたという事実は、魂の消滅という逼迫した事態に対する、魂自身の危機感の現れ以外の何物でもない。この「魂自身の危機感」が全多次元空間宇宙に投射投影され、霊界が反応し、守護霊が反応して、いわば怒濤の勢いで肉体人間の潜在意識に「目覚めよ!」と働きかけている――それが現在という時なのだ。
 現人類が肉体身というものの重要性に気づき始めているという証拠は、いたるところに現れている。たとえば過去数千年の間、ごく一部の求道者・神秘家たちの秘法秘伝として師資相承されてきた肉体内の霊的器官――チャクラとか、丹とか、霊的な鞘とか呼ばれているもの――の開発法が、今日では驚くほど一般化されている。ひと昔前までなら特定の行者の専売だった丹田行法や気功、ヨガ、メディテーションなどが、今日ではカルチャースクールで講義され、美容にまで応用されている。そして、こうした肉体そのものの開発ブームの背景にあるのは、疑いもなく魂の危機感そのものなのである。
 しかし、せっかくこの身の重要性に目を向けてはみたものの、肝心かなめの魂の危機のほうには、だれも気づいていない。この、いわば半覚醒とでもいった状況に置かれているのが、現人類なのである――。
 
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