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 シンクロニシティ
フランク・ジョセフ・著 宇佐和通・訳
KKベストセラーズ
 
 シンクロニシティの隠された意味を知るためには

 私がシンクロニシティを日記の形式で記録し始めたのは1993年のことだった。記録した内容は大きなもの、小さなものといろいろだが、4年を経過した現在改めて計算してみると、月平均で8回もの「意味のある偶然」が起きていることがわかった。月8回ということは、1年間に直せば100回近くになる。きちんと記録をつけていなければ、この大部分を忘れてしまったはずだ。まったく予測していない瞬間に起きるシンクロニシティを記録し集めていくと、これだけの数になるのである。
 日記をあらためて見た私は、正直なところかなり驚かされた。一つひとつの現象の内容をつぶさに見ていくと、たしかに不思議なものばかりだ。不思議ではあるが、特にメッセージ性を強く含んだものばかりではない。これはおそらく、微視的な観点から見ているからだろう。ところが、前後に起きたことを考え合わせると、その現象の意味がはっきりと浮かび上がってくるのだ。
 さらには、シンクロニシティの間にも明らかな関連性が見て取れる。いってみれば、それぞれの現象は細胞のようなもので、それがいくつか集まることによって真のメッセージの意味が明らかになるような気がするのである。シンクロニシティのメカニズムを解く鍵は、ここにあるのかもしれない。一つひとつの現象は、パズルのピースのようなものなのだ。
 テレビの画面に近づいて表面をよく見ると、無数の光の点があるのがわかる。点の明暗や濃淡が微妙に変化することによって、画面の一部分が構成される。画素と呼ばれるこうした点が何千何万と集まって、はじめて意味のある画面ができあがるのだ。しかも画面は、少し離れたところから見ないと何なのかわからない。
 シンクロニシティと人生の関係は、この画素と画面の関係に似ている。意味のある偶然一つひとつが集まってできた人生という画面を、遠くから見てはじめて、その真の意味が明らかになるのである。
 人間の一生には、必ずテーマがある。それに気づこうと気づくまいと、テーマは歴然として存在するのだ。一生におけるテーマが何であるのか。そのヒントを与えるのがシンクロシティという現象なのである。全体像を見ることによって、一つひとつの現象の意味が明らかになるともいえよう。
 これを可能にするのが、日記をつけることだ。日記をつけておけば、短期から中長期にいたるまでの流れを把握することができるので、ある時点における自分の状態とシンクロニシティの関係を探ることもできる。また、文章を読み返すことによって事実のみを思い出すことができる。自分がこの世に存在する、という奇跡を理解し、感謝するための客観性を得ることができるのだ。人生を広い視野から考えれば、それまでの考え方が一変することもあるだろう。価値判断の基準となるのは、自分自身が記録した文章だ。これ以上信頼できるものはない。
 シンクロニシティ日記をつけるのは、あなた自身の“運命の本”を書くことにほかならない。現象によって示された真意を汲み取ることによって、人生という航路を進むにあたっての指針を得ることができるのだ。そして何より大切なのは、日記を通じて自分と自然、自分と創造主の関係を確認することだ。人間はまぎれもなく自然界の一部であり、その自然界を創り上げた創造主とも直接つながっているのである。
 シンクロニシティは、深層心理や無意識を通じて日常に示される奇跡といってもいいだろう。形のない深層心理や無意識が、はっきりとした形で働きかけてくる現象ともいえるかもしれない。一人ひとりの人間は、それぞれが自然界や創造主と深いつながりを持っているからである。われわれは祈りの言葉で神に語りかけるが、神や自然が無意識を通じてわれわれに話しかけてきたとき、それがシンクロニシティという現象になる。
 シンクロニシティによって示されたメッセージを正確に読み取ることは、天啓の導きとより高い目的意識を得ることにつながるだろう。一生を広い視野から考えられるようになった人は、他人を微視的な基準で判断することもなくなる。なぜならば、他の人々も自分と同じように自然の一部であり、それぞれの人生に大きなテーマが隠されていることを実感するからだ。
 こう考えると、神と人間を直接つなげるものがシンクロニシティであるということがいえる。宗教家はそれを神の介在という。また科学者は既存の概念で説明しきれない部分と呼ぶだろう。シンクロニシティを理解することは、われわれが何であるのかを理解することに通じるのだ。自分がどこにいて、どの方向に進むべきなのか――その理由が自然界全体をスケールとして示される現象ということができるだろう。
 
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