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 「ニンジンから宇宙へ」
赤峰勝人・著 株式会社みずき
 
 日本人の伝統食は玄米自然食だった

 玄米食には長い歴史があり、先人たちは玄米を中心とした食生活を送ってきました。玄米の中に大豆、黒豆、小豆、粟、キビ、ヒエ、蕎麦、麦などを混ぜて炊いていました。副食としては、栄養たっぷりの野菜(昔は、当然ながら堆肥による無農薬野菜)や、海の幸である海藻や魚貝類を食べ、冬の間だけは寒さをしのぐために、少量の肉類を食べて過ごしていたようです。
 現代の栄養学から見ると、とんでもない低カロリーと低蛋白質で、とても生きていけないような粗食だったにもかかわらず、病気にもならず、楽しく農作業をして健康に暮らしていたようです。玄米自然食は、日本民族が発見した素晴らしい伝統食だと言えます。
 天地自然の陰陽の理に従って、玄米を主体に食べ続けていけば、体に故障は起きず、健康を維持することができます。心も健やかになり、平和を愛する気持ちに満ちあふれ、常に楽しく暮らしていくことができるのです。
 それなのに日本民族は、この素晴らしい伝統食をやすやすと捨ててしまったのです。

 
白米がもたらしたもの

 白米は、今から約四百年前、江戸時代初期(慶安年間)に江戸城の大奥で食べられるようになり、徐々に一般大衆へと広がっていきました。白米の魅力に取りつかれた人々は、それ以後、身も心も病んできたようです。白米を食べるとビタミンB1不足になり、その結果、脚気になるというのは、現代では誰でも知っていることです。脚気は玄米を食べていた頃には見られなかった病気で、白米を食べるようになった江戸時代に、「江戸わずらい」という名で知られるようになりました。
 徳川十四、十五代将軍は、脚気がもとで命を落としています。現代の常識では、脚気で命を落とすなどは考えられませんが、それ以後、第二次世界大戦で食糧事情が悪化するまで、脚気による死亡率はかなりの高さを示したようです。とりわけ軍隊や刑務所など、集団給食が実施される所での発生率は高く、日露戦争では前線に出る兵士よりも、脚気で病院に収容される兵士の方が多かったくらいだといいます。第二次大戦中、米が統制され、食糧事情が悪くなって初めて、脚気死亡率は激減しました。このことは、白米にビタミンB1がほとんどないことを示すものです。
 今ではほとんど見かけませんが、かつてはビタミンB1強化米が入った精白米を、よく店頭で見かけたものでした。あれは、脚気を踏まえてのことだったと思われます。
 現代では、精白して捨ててしまった栄養分を補うために、一日に30品目もの食品をいかに効率良く摂取するか、人々は帳尻合わせに狂奔しているように見えます。折りから沸き起こった健康ブームは、そうした人々の気持ちの現われでしょう。
 しかし、そのわりには、少しの手間ひまも惜しみ、金で済むことは金で簡単に済ませ、自分の肉体のことはおろか、目の前の食卓に並んでいるものの意味さえ考えようとしていません。そこには、他者への愛も余裕もありません。手軽さと見かけの美しさがあるだけです。お惣菜や冷凍食品、ファーストフード産業が急成長するわけです。
 包丁を持たない新婚家庭もあると聞いた時には、どうにもやりきれなくなりました。悲しいという言葉では表現できないやりきれなさを感じました。
 なぜ、食べることの意味を真剣に考えようとしないのでしょう。
 生きることを大切にしてほしいのです。誰でもない、自分をもっと大切にしてほしいのです。自分の肉体のことをもっと知ってほしいのです。自分で知ろうとし、自分の力で考えようとしてほしいのです。
 炊き上がったばかりの、ピカピカ光る真っ白のご飯を、ああ美しいと思い、玄米食を捨ててしまった人々。本物が何かを忘れ、見かけだけの美しさを追い求めてしまった人々。健やかで澄みきっていた心は、だんだんと曇ってきてしまいました。
 それはそのまま、現代の人々へと受け継がれているように思われてなりません。うわべの美しさだけを求め、自分のことしか考えない心が、349種にものぼる食品添加物や、数えきれないほどの農薬や化学肥料を生み出しました。私たちの命をつなぐ食べ物に、いつのまにか、おびただしい数の毒物が混入するようになってしまったのです。
 
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