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 生命を癒す
斎藤忠光・著 プレジデント社
 
 人間の「生き方」と「体」、「生命」は一体である

 私はコンサートでもしばしばバイオリニストや他のピアニストとセッションをすることがある。聴衆の「生命」のエネルギーに「感応」して自在に弾く私のピアノとのセッションが本当に可能なのか、いぶかしがる人も多い。だが、現実にセッションは成立している。
 私のコンサートを聴いた聴衆の反応だが、これがまさに千差万別である。通常のコンサートであれば、あらかじめベートーベンやモーツァルトといったように演奏する作曲家や曲目、指揮者、ピアニスト、などが決まっており、それを前面に打ち出しているケースが多い。いわゆるコンサートのテーマが設定されているわけで、したがって聴衆もだいたい似たような反応を示すものだ。
 しかし、私の場合、聴衆の反応の仕方がまったく違うのである。一人ひとりがそのときの自分の心身の状態によってピアノに「感応」しているからだ。コンサートを聴いて身体が軽くなったという人もあれば、なかには逆に気分が悪くなったり頭痛を訴える人もいる。心身の状態が悪いまま、いまのこの瞬間を生きている人は、その状態でピアノに「感応」するため、どうしても悪い反応が出てしまうのである。
 なかにはコンサートの後で首が回らなくなった人もいた。この人は男性だったが、会場でピアノの音を聴いているうちに息が詰まるような切迫した感じになり、首が自由に動かなくなったと言うのである。もっともその後20分くらいしてからジワジワと首のシコリはほぐれていったそうだが、この男性は「なぜ、ピアノを聴いて首が回らなくなったのだろうか」と考えたそうだ。
 その結果、自分には借金があるからではないか、と思ったと言うのである。絶えず借金のことが気にかかっていたので、いつも心に重しを背負い込んだようなうっとうしい気分になっていた。そうした心の状態が体にも影響し、心身の状態がどん底にあるときに、私のピアノを聴いて体が「感応」し、首が回らなくなったと言うのである。
 ただ、この人の場合は、自分の生き方に問題があることに気がついたことで、今度は借金返済のために全力を上げて努力する気持ちになったと言う。そして、いまではその返済のめども立ったという。私のコンサートに参加した意味があったというものである。
 少なくともその人の頭の中では、2時間のコンサートに参加したことで、いままで気がつかなかった自分の本当の生き方を考えるようになった。生理的にも意識的にも、それまで背負い込んでいたさまざまな呪縛や重荷から解放され、自分の本来目指すべき生き方の実現に向けて真剣に取り組める状況が生まれたということだ。
 借金が理由でなくとも精神的肉体的に追い込まれた「生き方」をしていると、同じような反応が起きることは十分に予測される。要するに人間の「生き方」と「体」そして「生命」はバラバラのようでありながら、実は一体であるということなのだ。
 その人の「生き方」によって“支配”され、自由溌剌さを失っている「体」や「生命」を本来の状態に戻すというのが私の考えであり、コンサートでのこの男性のケースは、その1つの例なのである。
 私が全国を回ってコンサートを開く目的は、一人でも多くの人にその人が基本的に持っている「生命」の活力を回復してもらい、健康に生きてほしいと考えるからだ。私はコンサートを通して、より多くの聴衆に「生命力」の働きを感じてもらいたいと思っている。
 
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