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 死後の世界と魂の成長
G・ミーク・著 宗教真理出版
 
 
――霊の存在について霊媒の人たちが話すことは、十分信用してよいのでしょうか。

《答》 「はい」とも「いいえ」ともいえます。それから「たぶん……」、そして「おそらく……」と言っておきましょう。
 現在では、非常にすぐれた能力をもつ霊媒の人たちは、ごく内輪の友人や、誠実な研究者しか相手にしないようになっています。私は10年間、世界各地を廻って霊媒を探してまわりましたが、すぐれた霊媒はほんのわずかしか見出せませんでした。
 地上の世界につよく執着している霊からの通信――つまり、最も簡単に手に入る報告――は、大部分、何の役にも立たず、また不正確なものにすぎません。
 霊媒を通して行なう通信にともなった厄介な問題は、私たちが簡単に接することのできる霊は、地上の世界に最も近い、アストラル界の最も低い次元にいるということです。こういう霊は、ごく最近死んだばかりの霊界の新参者が多く、彼らの知っていることといっても、せいぜい彼らが肉体を離れる以前に知っていたことぐらいで、それ以上のことは何もわかっていないのです。これが「雑音」つまり通信の難しさと結びつくために、霊界についての誤った考え方を生み出すのです。
 もっと高い次元にいる霊から通信が送られてくる場合でも、その伝達に当たっては、なかなかむずかしい問題があります。その困難は、わかりやすいたとえを使えば、何人かの人びとが、一列に、または円形に椅子を並べて坐り、くっつき合ってやるゲームにたとえることができます。一つの文章を隣りの人の耳もとにささやくと、その人はすぐそれを次の人の耳もとでささやき、次々に最後の人までつづけてゆきます。そうすると、情報が伝わってゆく間に、ひどいまちがいが起こったことがわかって、みんな大笑いすることになります。
 こういう問題を取り扱う場合、一定の決まった法則をあげて説明することはできません。しかし、一般的にいうと、霊と話をすることを金もうけのための職業にし、時間をきめて次から次へと依頼者をさばいてゆくような霊媒の場合は、彼らを通して与えられる通信は、あまり真剣に受けとるべきではありません。
 ですから、死者の遺族が霊媒を通して故人と交流しようとすることは、ふつうはきびしくさけるべきです。霊媒は故人の様子をしてみせて、その場にいる遺族の心を打つでしょうが、彼らにできるのは、せいぜいその程度のことです。霊媒はよく、「私には、故人があなたのそばに立っていらっしゃるのが見えます…」と語り、死者の様子をかなり正確に説明したりしますが、その時、霊媒は本当の故人と接触しているわけではありません。これは多くの場合、地縛霊たちのしわざなのです。霊媒の大部分は、そういう地縛霊と接するレベルに、やっと到達できる程度の能力しかもっていません。地縛霊の中のいたずら好きの連中は、故人のまねをして面白がったり、その場にいる依頼者に、愛する故人と接しているにちがいないと思いこませるような様子を、実に巧みに演じてみせたりすることができるのです。
 そんなことをするよりも、遺族の人たちは、数日間、静かに坐って祈りをこめ、愛情豊かな思念を愛する故人に送る方が、ずっと有益です。
 愛する故人がどこにいるかを、ありありと心に思い浮べ、そして、愛する人がその場にいるかのように、声を出して話しかけて下さい。そして、彼が新しい環境に適応できるように祈って下さい。「あなたがいないのはさびしいけれど、しかしもうあなたが故郷(霊界)に帰り、必要なものはすべて世話をしてくれる、愛する人たちの間で暮らしていることを知っているので、私たちはもう悲しんではいない」と語ってあげるのです。また彼の愛情と、彼とかつてもった親しい交わりに対して大へん感謝していること、いずれ再会してお互いの関係がまた続けられることを嬉しく思っていること、などを話してあげて下さい。
 もっとも、再会するのは、それがあなた方のお互いの目的にかなう場合のことです。こういう行為はいずれも、霊媒から霊媒へとわたり歩くよりも、ずっと有効な方法です。
 
 
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