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 壊される日本
馬野周二・著  プレジデント社
 
 
 ころは日本の幕末だった。今はむしろ世界終末の気配が濃い。いつの時代にも覚者は稀少である。だが幕末には数多くの志士が自らの想いに命をかけた。平成のとろけた若者はいったい何を思っているだろうか。
 今われわれに必要なのは、真実を曇りなく見抜くことである。いつの時代にもそれは時の権力によって隠されるのが常であるが、
現在は衆愚政治の広範化、金銭経済の肥大、情報技術の革命によって、事実の隠蔽、虚構の造作は驚くほど盛大に進行している
 今の世界権力とはいったい何なのか。いかなる目的を抱いているのか。――それを考える自由は誰にでも与えられている。だがそれに気づく者はほとんどいないのが実情である。世にこれ以上危険なことがあるものではない。
 人間にはそれぞれ持って生まれた性能と背負った宿命がある。世の危険を予感し察知する能力は、少数の人たちにしか与えられてはいない。それを弁知し分析する知能を併せ持つ人に至っては、ますます少ない。さらにその危険の根因に思いをめぐらし、その正体を突きとめる人に至っては稀というべきだろう。
 読者の身辺目先の話にたとえれば、先ごろのバブル(経済)の顛末を見通した人は稀だ。ところが問題はそこに留まらない。覚者の警告は大衆によって無視される。逆に世相の短気のベクトルを増幅して益もない言説を流し虚名を求める者たちは数多い。これらの者の吹く笛の音に迷わされ、どれだけの人が大金を失ったか。いつの世にも変わらない大衆の悲哀である。さらなる厄介は、稀少なる世の覚者を大衆は嫌がる。目先の欲得に水を注すからだ。

 金を失うくらいならば大したことではない。個人であれ国家であれ、元通り心を入れ替えて働けば済むことだ。しかし、もし
バブルがこれらから金を抜き取る計略であっただけではなく、日本の人と社会を壊滅させる計画の一環であったならば、実に恐るべきことだろう。読者の深考を促したいところである。
 
これからのわが国の政治、社会は腐敗の度を深めてゆき、長期暗夜の時代に入るおそれが大きい。かくて、どこにその根因があるかわからないままに、表面的な対症療法で時を過ごし、病巣はますます体内深く入り、ついに斃死するに至る。
 殷鑑(いんかん=失敗の先例)はアメリカにある。これは200年前につくられた人工国家である。「人工」であるからには設計図があるし、工事を指揮した者がいるはずだ。それは誰だろうか。この国と社会はこの30年間にツルベ落としに落下した。この現象も「人工」であるはずだ。200年にして壊れるように設計してあっただろうからだ。
 今にして思うのだが、日本もまた130年前、幕末維新の時、不完全ではあっても同じ手によって「設計」されていたのではなかったか。それを完成するのが「平成維新」ではないのだろうか。その手に悪魔の刻印が捺されていたとしても、それに気づく人は寥々(りょうりょう=非常に少ないこと)たるものだろう。
 もとより建国や維新はその時代の要求に応じたものであり、それなりの必然性があった。それを否定することはできない。革命、戦争、恐慌もまた同じ。人心と体制は変化を拒む性質がある。しかし世は進む。変化は必然である。だが悪魔がその「間」に入ることにわれわれは注意しすぎることはない。

★ひとくちコメント(2012年記)――
この本は今から約20年前の1993年に出版されたものですが、現在の日本の姿を見事に言い当てています。私はこの著者の慧眼(けいがん)を心から敬服するひとりです。インターネットが普及したおかげで、今ではこの種の情報は簡単に手に入るようになりましたが、同じ情報を手にしても、そのことによる“危機”の分析は人によって大きな違いがあります。ちゃんとした歴史観や国家観が下敷きになっていなければ危機の本質を見抜くことはできないのです。残念ながら、いまやこの国にはこの著者のようにしっかりした歴史観、国家観を持った論客は見られなくなりました。ちなみに著者は1931年生まれです。

★ひとくちコメント(2013年記)
――私のように社会人として40年以上もこの国の政治と社会を眺めてきた人間からしますと、バブル経済後のこの国の姿は、既に「壊された日本」と呼ぶべき惨状です。それでも、“壊された国”の中で大人になり、テレビやネットの情報を通して世の中を俯瞰するに至った若い人たちにとっては、国が壊されていく過程を見ていませんから、このような状態が普通で、これからの努力次第でどうにかなると考えている人が多いかもしれません。しかしながら、私はもはやこの国を独立した一つの国として立て直していくことは出来ないと思っています。それは、マスコミが完全に“彼ら”の手に落ち、その情報操作によって、国民が目隠しをされ、だんだんと洗脳されてしまっているからです。いまや日本は、この本の著者が「人工国家」と呼ぶアメリカと同じように、政治も経済もマスコミの力によって自由に操られる国に成り下がってしまったのです。もちろん、単に悲観していては何事も解決することはありません。「今われわれに必要なのは、真実を曇りなく見抜くことである」という著者の忠告に耳を傾け、その努力だけは続けたいと思います。

★ひとくちコメント(2014年記)――年が明けて、いま日本はアベノミクスの行方がどうなるのか、という経済問題に注目が集まっています。というより、マスコミが意図的に日本経済の再バブル化の手先として使われているということです。2020年のオリンピック開催までに、その努力はさらにパワーアップされることでしょう。一度大やけどした日本人ですが、支配層のコントロール下にあるマスコミの煽動によって、大多数の人が拝金主義の国民へと変貌させられてしまうのかもしれません。「株で儲けよう」
という考え方を持った段階で、間違いなく拝金主義の門を叩いたことになるのです。
 
支配層がもくろんでいると思われるもう一つの策は、アジアで日本と中韓の衝突を起こすことではないかと思われます。年末の安倍首相の靖国神社参拝は、中韓との対立を深める以外に何の得策もない文字通りの“愚行”でした。それをあたかも自分の信念で実施したかのように装っていますが、真実は「命令によって参拝させられた」ということでしょう。あれだけの波紋を広げる行動を、一国の首相が独断で実行することはあり得ません。内閣や党の中枢とも十分にすりあわせをした上での行動であることは間違いないことです。そのとき、内閣にとっても党にとっても何の得策もないことを実行しようとする首相の行動にブレーキをかけられなかったのはなぜか、と考えれば答えが出てきます。それは、彼らが逆らうことのできない強い力によって命令されたことだからとしか考えられません。
 早速、アメリカが不快感を表明し、欧米のマスコミがチクチクと一斉に批判を浴びせました。オーストラリアの新聞では、「首相の靖国参拝は日本のオウンゴール(自分で自陣にボールを蹴り込み、相手に得点を与えること)だ」とまで揶揄しています。一国の首相が戦没者の埋葬されている神社に参ったことを、ここまで一斉に大騒ぎすることは、どう考えても異常すぎます。すべて、アジアの主要国同士の争いを引き起こそうとしている層の、マッチポンプによるものと思ってよいでしょう。
 
 
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