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 快癒力
篠原佳年 著  サンマーク出版
 
 
 重かった背中の荷物をどう軽くしたか

 世の中には重い病気の家族を抱えて困っている人もいます。また自分が病気になって家族に迷惑をかけていると、心苦しく思っている人もいることでしょう。どちらも病気治癒によい心理状態ではありません。そこで参考までに私自身のことを述べてみたいと思います。
 私の子供は先天的な病気で言葉をしゃべることができません。そのような子を授かったことで、妻は悩み続けて心の病気になりました。そのうえ、母は私が開業した頃、すでに肝臓ガンに侵されていました。父は医者でしたが、脳出血による半身不随で、自分でトイレにも行けない体でした。
 ふつうはこれだけ病人を抱えると、そのストレスは相当なもので、私自身も病気になって不思議ではないと思います。ところが何の因果か、私は健康そのものでピンピンしています。なぜ私が健康でいられたのか。一時期は私も悩み苦しみましたが、あるとき子供時代に読んだ一冊の本を思い出したのです。その本にはこう書かれていました。
 「
神様はその人の背中に背負えるだけの荷物を背負わせてくださる。ただ、その人の背中の大きさに見合ったぶんだけしか背負わせてくださらない
 それを読んだとき、子供の私は神様にこうお願いしたのです。
 「神様、僕は困った人や病気の人の荷物を背負ってあげたいのです。たくさんの荷物を背負える大きな背中をください」
 そのことをフッと思い出した瞬間、私は納得したのです。わざわざ病気の素質のある嫁さんを探して、病気の子供を選んで、親も病気になって、仕事も難病の患者さんばかりを相手にして‥‥そうか! と思ったら、それまでずっしりと重かった背中が急に軽くなりました。
 よくよく見てみると、子供も妻も私ほど悩んではいないのです。子供は私に会うとニコッと笑います。その子を見て妻も嬉しそうにしています。
 父はよくつまづきますが、いっこうに悩んでいなかった。母が死んで、面倒を見る人がいなくなって施設に預かってもらったのですが、母親が死んでからは生きることに興味を失いました。それでも父としての威厳は失わず、人に「どうこうしてくれ」とは一言も言わず、一人で死んでいきました。
 その1年ほど前に、母は病院で私と弟にみとられて亡くなりました。直前までガンの告知をしなかったこともありますが、母が自分の病気で取り乱した姿を見せたことはありませんでした。
 みんな自分の生を一生懸命に生き、死ぬ時期がきた者は死んでいきました。人間は生まれた瞬間から死を約束されている存在なのだから、自分らしく生きればいい、自分が思った通りに精いっぱいわくわくすることで生きればいいのではないか――そう思いました。
 そうしたら不思議なことが起こりました。自分のことで悩んでいたときはドリンク剤を飲まないと元気にならないし、それでも疲労から気の萎えることがしばしばだったのに、どこからかエネルギーが生まれてきて、私は疲れを知らず、何をやっても楽しいという人間に生まれ変わっていたのです。
 
 
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