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 仏教は心の科学
アルボムッレ・スマナサーラ・著 宝島社
 
 ミミズにできることができない人

 食べて寝ることだけに精を出しても、人生はそれで終わってしまいます。何もせず、くだらない人生を終えてしまうのです。「仕事をしていますよ」と胸を張る人がいるかもしれませんが、ではその仕事はなんのためなのでしょうか。家賃を払って、食べて、寒いから服を買って、便利だから結婚して子供をつくる。それだけのことではないですか。
 おかしいのは、人間がそれをすごく大変なことだと思っている点です。私は、そんなことでは情けないと思います。
 仕事をするのは、そんなに大変なことでしょうか。そうじやないでしょう。子供をつくること、育てること、それも簡単なことです。犬でも猫でもミミズでもやっていますよ。
 私たちはミミズよりどこがえらいというのでしょうか。ミミズもちゃんと仕事をして、ご飯を食べています。ミミズだってやっぱり頑張らなくては食べられませんから、ちゃんと交尾して卵を産んで、子供が育つようにしてやっているのです。
 鳥なんて見てごらんなさい。一生懸命に子育てをしているではありませんか。ある種の鳥は、卵を温め始めたら巣から離れようとしません。そうするとお父さん鳥は大変で、毎日巣まで餌を運んであげるのです。卵がかえったら、お母さんは前にも増して出て行けない。それでお父さんは、雛が大きくなるほど忙しく餌を探して、家族全員を食べさせてあげなくてはならないのです。
 猿は、自分の子供に、何を食べたらいいか、どのあたりにどういう危険があるのか、目上の者にはどうやって挨拶するのか、全部ちゃんと教えています。
 人間は、自分の子がちょっと言うことを聞かないと「ああどうしよう、どうしよう」とカウンセラーのところへ走ったりして、猿知恵さえない有様です。そうやって生きてきて、突然、自分の子供や奥さん、あるいは旦那さんが亡くなってしまったら、もう頭がおかしくなってしまうのですが、それも当然のことです。それまでもすでに狂っていたわけですから。

 
人間になりなさい

 人間らしい生き方は、誰でもできる悪事をすることではありません。お金がないからといって人をだましてお金を取るのは、人間らしい生き方ではありません。あくどい商売をしてボロ儲けをするのも、人間らしい生き方とは言えません。なぜなら、そこには非常にレペルの低い心、「自分さえよければいい」という心があるからです。
 泥棒は、窃盗や強盗、スリ、万引き、横領といったものだけではありません。ふさわしくないお金を持つことはすべて泥棒です。自分の給料以外にごまかしてお金をもらったとしたら、それはもう正真正銘の盗みです。証券関係の仕事をしている人が立場を利用して有利な取引で儲けたら、それも泥棒です。政治家が権力で便宜を図って謝礼をもらったら、それも泥棒です。力のある企業人が、下請けから御中元やお金をもらっていくらかの便宜を図ってあげるのも泥棒です。訪問販売で、まったく効き目のない薬を偽って売りつけるのも泥棒です。
 我々はそのようなことをよくやっているのです。「ぜんぜん身に覚えがありません」と言う人でも、自分の心に聞いてみたら、あるはずです。「盗むな」と聞いた途端に、頬かむりした泥棒を想像するかもしれませんが、それだけではないのです。ちゃんとネクタイを締めてやっているのです。
 動物は泥棒をしません。泥棒という概念すらないのです。野良猫にしても仕事をしているだけです。生きていくために自分で餌を確保しなければならなくて、目の前に餌があったらいただくのです。
 これと同じように、我々人間は動物以下のことをやっているのです。それで人間が幸せになれるはずがありません。我々は、まず人間らしく生きるべきです。
 仏教は、それをとことん教えるべきだと思います。日本では人が死んだときにしかお寺に来ないので、説法のしようもありませんが、悪いのはお互い様ですね。お寺にも皆さんにも問題があるのです。
 
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