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 溶けゆく日本人
産経新聞社取材班  扶桑社新書
 
 
街にあふれる家庭ごみ 自分の周りがきれいなら

 かつて海を渡って来日した宣教師たちが、声々に賛美したものがある。日本の「清潔さ」だ。そのうちの一人、イエズス会神父のロレンソ・メシアは同僚に宛てた書簡で「日本が清潔であることは想像もつかぬほど」と絶賛したうえで、「不潔はすべて大罪」とも綴った。
 それから四百年余。霊峰富士から公園、高速道路に至るまで、あり得ない場所にあふれかえるほどの家庭ごみがある。モラルなど犬に喰われろ、というばかりに……。
 東京都練馬区光が丘。団地が林立し、およそ三万人が生活を送る。そんな彼らの憩いの場となっているのが、光が丘公園。東京ドーム12個分の敷地面積を有する、都内屈指の広さを誇る都立公園だ。
 年も押し迫った平成18年12月28日。公園の一角に高さ2メートルを超えるごみの山ができあがった。タイヤ、ベビーカー、シュレッダー、ストーブ、バンド演奏のドラムセット……。昨年1年間で公園内から回収された不燃ごみの数々だ。重量はゆうに4トンを超えた。
 「引っ越しシーズンには、衣類、家具など生活用品一式が丸ごと見つかります。公園はごみ箱なのでしょうか……」。光が丘公園サービスセンター長の室星直史さんはそう語り、深いため息を漏らした。廃棄物は業者に依頼し引き取ってもらうが、処理費用は百万円を超えるという。むろん血税が注がれる。
 都立公園を管理する東京都公園協会によると、仏壇やペットの死骸など、かつては想像できなかった“ごみ”が園内に放置されることもある。いや、遠慮なしに廃棄されるのは、もはやごみだけではない。室星さんはある日、「池でカメを飼い始めたんですか?」という連絡を受けた。不思議に思って駆けつけたところ、仰天した。「危険動物」に指定されるカミツキガメが、園内をわが物顔に闊歩していたのだ。
 「やっかいなものを手放せたということで、捨てた人は安心かもしれませんが……」。室星さんの表情はさらに曇った。
 札幌市のベッドタウンとして発展する北海道江別市。ここでは、市内の公園でちょっとした“騒動”が持ち上がった。
 平成16年10月に家庭ごみ回収を有料化した途端に、公園に捨てられるごみが激増したのだ。生ごみをはじめ、大量の使用済みオムツなど、明らかに公園で出た物ではない廃棄物が、ごみ箱を中心に溢れかえった。収集が追いつかないことなどから、市では公園に設置していたごみ箱を501基から290基に減らして対応せざるをえなくなった。
 有料化による指定ごみ袋の値段は1枚20〜80円だが、それを惜しんでの“犯行”だ。「ごみの減量化を目指した有料化ですが、なんだか切ない話ですね」と、市都市建設課の今野伸吾さんは、ぽつりと語った。
 福岡県北九州市でも5年をかけ、バス停や市街地の路上に置いてあったごみ箱約千二百個をゼロにした。ペットの糞や生ごみなどモラルなきごみの数々が、ごみ箱から溢れ出るようになったこと、それが原因の一つだ。「収集所に捨てそびれた人が街のごみ箱に捨てていたのでしょうか」と同市業務課。その問いかけには、憂いとともに怒りが帯びる。
 今や注意するのも“命がけ”だ。ある自治体の清掃関係者は、“恐怖体験”を口にする。サラリーマン風の中年男性がヒモで縛った雑誌を街路樹の下に捨てていく様子を目撃し、たしなめたところ、「お前なに言ってるんだ殺すぞ」と“逆ギレ”されたという。「雑誌1冊で命を取られてはたまりません」。悪貨は良貨を駆逐し、ごみは街に溢れていく。

 四百年の時が流れ、「公共の場」に、家庭から出たごみを当たり前のように置いていく、そんな国に成り下がってしまった。異国の人々を驚嘆させた、あの「清潔さ」を愛おしむ精神は捨て去ってしまったのだろうか。
 「いや、きれい好きな国民性というのは、宣教師が訪れた時代から変わっていないように思うんです」。こう語ったのは京(みやこ)エコロジーセンター(京都市)館長で、石川県立大学教授の高月紘さん(環境倫理学)。では日本人の何が変容したのか。
 「モラルの低下です。それにより、『街の美』というものに関心が向かなくなったんですよ。いつのころからか、『自分の周辺だけきれいだったら、それでいい』そんな考え方になってしまった」


★なわ・ふみひとのコメント★
 
いま日本を席巻しつつある「我善し(=自己中心主義)」の風潮こそ、この国が滅びつつある兆候です。この本ではその異常な実態の数々が浮き彫りにされています。これこそ、もはや押し返すことのできない“終末現象”と見るべきでしょう。ただし、そのことをもって落胆したり、悲憤慷慨する必要はありません。この現実を直視しつつ、まずは自らを正しく律する姿勢が大切なのです。
 
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