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 天皇破壊史
太田龍・著  成甲書房
 
 「山本五十六フリーメーソン説」を検証する

 渡部悌治の古典的名著『攘夷の流れ』の第5章「ユダヤの陰謀に踊らされた日本人たち」から、やや長い引用をする。

 
山本五十六。
 第2次世界大戦が金権力によって世界を支配しようとするユダヤの機構、すなわち第2次の国際連盟を作るために勃発させられた経緯は以上のとおりである。日本もまた、この計画によって世界戦争にまきこまれ、しかも独・伊両国とともに、その主役を演ずる立場に立たざるを得なくなったのであるが、山本五十六が〔連合艦隊〕司令長官になった頃〔昭和14年9月1日着任〕、ハーバード大学ルートの情報で、米国の海軍力は山本五十六が司令長官である間ならば、日本に撃って出ても勝算があり、悪く行っても五分五分で決着がつく。早々に戦端を開くべきだという海軍側〔これは米海軍の意味であろう〕の意向が伝えられて来た。しかもその理由の中に一項目、山本はフリーメイソンの結社員だからという条項が入っていた。[中略]
 山本五十六が、米内光政や高橋三吉らと、日独伊三国の軍事同盟反対の密議を凝らしていた場所は、東京麻布の狸穴にあった。この妾宅の若い女性は当時18歳で、新橋あたりで芸妓をしていた。[中略]山本が戦死した報を得て、須藤某〔憲兵隊〕が文書の遺稿でもと狸穴を訪ねた時にはすでにこの女性が一切を処理し終えた後であり、[中略]戦時中、米内光政や身内の縁故者たちから、国の機密に属する事柄が敵国に流されていたことは事実であり、しかもその事柄が、日本の戦争遂行を不可能にするほどの重要なものであったことを特筆しておく。
      (『攘夷の流れ』119〜122頁)


 山本五十六が、フリーメーソンの結社員であったとの指摘には仰天させられる。いや、天地がひっくり返るほどの驚きである。渡部悌治先生は、根拠のない放言をされるような方ではない。それにしても、山本五十六がフリーメーソンに加盟したとすれば、いつ、なぜなのか。
 山本五十六は大正8年(1919年)、少佐になって以降、アメリカ駐在が2度、ヨーロッパに出張したことが2度あった。フリーメーソン入会が事実であるとすれば、この2度のアメリカ勤務(大使館付武官)中の可能性が高い。
 阿川弘之の著作(『山本五十六』新潮文庫)によれば、第1回の米国駐在は、大正8年5月出発から大正10年7月(帰朝)までの2年間。第2回の米国駐在は、大正15年正月から昭和3年(1928年)3月(帰朝)までの2年間で合計まるまる4年間に及ぶ。フリーメーソンが山本に工作して結社に引き入れるに十分条件を満たしているようにも思える。さらに、この他にヨーロッパ長期出張が2度。
 山本五十六が大正8年から昭和3年までの、2回の米国在勤中にフリーメーソンに入会していたとの仮説を探ってみよう。
 もし、それが事実だとしたら、このメーソン山本が、昭和11年から同14年8月まで海軍次官、同14年9月から同18年4月、すなわち戦死するまで連合艦隊司令長官であったという驚くべき事実の裏が浮かび上がってくる。
 それにしても、山本を米国フリーメーソン加盟に誘導した人物がいるはずだ。それは誰なのか。浮上するのは松平恒雄なる人物である。
 松平恒雄は、駐米大使、駐英大使を歴任、その後、宮内大臣に就任している。渡部悌治先生によれば、松平は、戦前からフリーメーソン人脈として有名だった。山本五十六が米国勤務中に、松平恒雄が駐米大使であったとすれば、ピタリと状況が符合する。
 松平恒雄は、その姓からして一目瞭然、徳川時代の旧大名の末裔である。皇室にも近い、こうした立場の上流日本人が、どのようにしてフリーメーソンにからめ取られたのだろう。以下、阿川弘之の著作から引用する。

 
山本が松平恒雄を識ったのも、彼の在米武官時代であった。松平は駐米大使で、大正15年の12月大正天皇が崩御になり、英国留学中の秩父宮親王がアメリカ経由で帰国する時、宮を大使館に迎えた。

 この記述によれば、山本と松平の接点は、大正15年から昭和3年まで、2回目の駐米武官時代のようにも受け取れる。旧会津藩主の一族、松平恒雄は、駐米大使時代にフリーメーソンに入ったのか、それともそのときすでにメーソンであったのか。それは全くわからない。
 恒雄の他にも、越前松平家系の中に、フリーメーソン色濃厚な人物がもう一人いる。戦前、フリーメーソンに正式に加入していた人物、参議院議員、日向輝武……。彼は、「自らフリーメーソンであることを人前に誇示し、議会や公式の場でも、公然とチョッキの脚下に取り付けた六芒のユダヤ・フリーメイソンのマークをひけらかしていた」(『攘夷の流れ』55頁)。また、「新渡戸稲造や吉野作造らがユダヤ・フリーメイソンであったことなども知られていたことであり……」(同書58頁)。
 大正期に入ると、フリーメーソンの影響は様々なかたちを取って、日本の上流指導知識階級の中に急速に浸透し始めたようだ。この奔流の中に松平恒雄が呑み込まれ、欧米との縁が深い、海軍の山本五十六も取り込まれたという成り行きは十分に考えられる。

★なわ・ふみひとのコメント★
  山本五十六は真珠湾攻撃を自らの職を賭して主張し、司令長官として実行の指揮をとった最大の“戦犯”でありながら、いまなおアメリカからは何の非難も受けず、国内では英雄扱いをされていることの謎がこれで解けると思います。
 同じように、戦後日本の首相を務めた鳩山一郎がフリーメーソンであったこともよく知られています。その孫である鳩山由紀夫元首相はどうなのでしょうか。「自由・平等・友愛」というフリーメーソンの旗印の中から「友愛」という言葉をとって政治信条にしていた人物ですから、状況的に見れば「私はフリーメーソンですよ」と宣言しているということでしょう。今日の政治の大混乱状況を作り出したとも言える小沢一郎氏も、日本のフリーメーソンの代表格です。→「坂本龍馬とフリーメーソン
 このように、今もなお、俗に言う“上の方”は世界支配勢力にしっかり組み込まれているということは知っておきたいと思います。
 
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