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 日米・開戦の悲劇
 誰が第二次大戦を招いたのか
ハミルトン・フィッシュ・著 岡崎冬彦・監訳
 
 
 秘密裡の最後通牒

 1941年11月26日、ルーズベルト大統領は、日本に対し最後通牒を送り、その中で日本軍のインドシナおよび中国(満州)からの全面撤退を要求した。この最後通牒により、日本を開戦に追い込んだ責任がルーズベルトにあるというのは、歴史的事実である。
 1941年6月22日のヒットラーによるロシア侵攻以前は、対日懐柔策に徹底していたイギリス政府は、ロシア侵攻後、またたく間にその政策を変更したが、これは、チャーチルがルーズペルトから、極東における英国の権益を擁護するとの約束をとりつけたことによる。かくして、チャーチル、スターリン、オーエン・ラティモア、スティムソン、およびロックリン・カリーは、いわば“裏口”から米国を第二次大戦に参戦させることを促す役割を果たした。
 日本に対し秘密裡に最後通牒を送ることに関与した人物の行動は、情け容赦なく調査され、暴露の下にさらされるべきである。
 キンメル提督およびショート将軍は、職務怠慢または、誤った判断を行なったといったようないかなる責にも問われるべきではなかった。ハルゼー提督がいみじくも述べたように、彼らは、上層部のために「スケープ・ゴートとなった殉教者」であり、この上層部こそが、パールハーバーの悲劇における三千名の米水兵およびその他の米軍人の死の責任を負っている。何年か後になって、キンメル提督は、歯に衣を着せることなく、次のように述べている。
 「ルーズペルトなどの指導者たちは、パールハーバーにおける米軍を故意に裏切った」(『ニューズ・ウィーク』1966年12月12日号)。
 「ルーズペルトがすべての計画の責任者であった。彼はおそらく“マーシャル以外の者は日本艦隊の動きに関しパールハーバーヘ一言も連絡してはならない旨指令したと考えられる。その後マーシャルに対しては、いかなる連絡もしないよう命令した」(『ニューヨーク・タイムズ』1966年12月7日号)。
 『ニューョーク・タイムズ』紙のアーサー・クロックは、大統領に対し次の通り述べている。
 「1937年の“隔離声明”以来、大統領は、日本の敵意を煽り、枢軸側へ追いやるために、あらゆる手段を駆使した」
 日本が枢軸勢力と同盟を結んだことは、ルーズベルトの反対派にとっては、爆弾を投げ込まれたような話であった。ナイ上院議員は、次の通り述べている。
 「われわれのとった外交政策の結果、日本は、われわれが同国と最も協調してもらいたくない国々の掌中にはいることとなった。日本は、これは米国国務省の失敗によるものであると主張している」
 日本は、米国との開戦を避けるためならほとんど何でもする用意があったであろう。
 コメ、ゴムおよび錫の必要供給を確保するために、日本は、ヘタンのビシー政府から、ベトナム支配権を譲り受けることの許可をとりつけた。当然のことながら、日本は、もしもオランダが対日石油供給を拒否したならば、自らの存立に不可欠な石油供給を確保するために、東インドに進出していたであろう。日本は、フィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有してはいなかった。しかしながら、ひとつの国家として、日本はそのエ業、商業航行および海軍のための石油なしには存立できなかった。
 非常な平和愛好者である首相の近衛公爵は、ワシントンかホノルルに来てもよいからルーズベルト大統領と会談したいと、繰り返し要望していた。彼は、戦争を避けるためには、米国側の条件に暫定協定の形で同意する意思があったが、ルーズベルトは、すでに対日戦、およびその帰結としての対独戦を行なうことを決意していたというだけの理由で、日本首相との話し合いを拒否した。
 在日米国大使であったジョセフ・グルーは、日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたかを承知しており、かかる首脳会談の開催を強く要請した。しかしルーズベルトおよびその側近の介入主義者たちは、策謀とごまかしとトリックを用いて、全く不必要な戦争へわれわれをまきこんだのである。
 『ニューヨーク・タイムズ』のアーサー・クロックは、ルーズベルトのドラスティックな経済封鎖政策が、戦争の危機を招来し、日本に米国との戦争を強いるものである、として批判した。

 
最後通牒に秘められた米国の読み

 ルーズベルトとハルの最後通牒は、11月27日の朝、折しも連絡会議開催中の皇居に届いた。この最後通牒は、日本に対し、すぐさま「すべての陸・海・空軍および警察権力を、中国およびインドシナから撤退させること、中国の蒋介石以外の政府または体制を支持しないこと」、そして事実上は、三国同盟を廃棄することを要求していた。
 日本は、最後通牒中の“中国”は、満州も含むものと解釈したが、日本は満州をあきらめるつもりは全くなかった。もしもハルが“中国”の中に満州を含めていないつもりであれば、ハルは、後になってからアリバイのためにするのではなく、その時点でこれを明確化しておくべきであった。
 しかしながら、ハルは、その翌日、陸軍長官であるスティムソンに対し、「もはやすべては陸軍と海軍の手にゆだねられた」と述べている。
 この最後通牒に関しては、日本の歴史、制度および心理を深く知ることなくしても、次の三つの結論を導き出すことができる。

1.自由主義的であると反動的であるとにかかわらず、日本のいかなる内閣も、これらの条項を和解のための基礎として受け入れれば、たちまちのうちに倒されてしまう危険を負うことになったであろうこと。

2.米国国務省は、ドラスティックな最後通牒は、「太平洋における平和維持にむけての新たな対話」のためのプログラムとしては、日本政府の受け入れるところとはなりえないことを承知していたこと。

3.ルーズベルト大統領とハルは、日本に対して最後通牒を送りつければ、何らの宣戦布告なしに、公然たる戦争行為が始まるであろうことを承知していたこと。

  ★なわ・ふみひとのコメント★
 
著者のハミルトン・フィッシュは1919年から1945年まで米国下院議員を務めた人物で、日米開戦当時は共和党の議員として、日本を戦争に追い込むルーズベルトの策謀を内側から見ることができる立場にありました。冒頭の見出しに「秘密裏の最後通牒」とありますが、日本を戦争に追い込む決め手となった“最後通牒”は、一般の国会議員には知らされないまま、ルーズベルト周辺の一部の権力者たちによって作成され、日本に突きつけられたことがわかります。
  しかも、当時のアメリカ軍の最高責任者であったキンメル提督とショート将軍は、日本軍の真珠湾攻撃についてルーズベルトから事前に何の情報も与えられていなかったため、真珠湾で甚大な被害を受けたことの責任をとらされることになってしまったのです。ルーズベルトを中心とする権力者たちが、計画的に日本をアメリカとの戦争に追い込んだことはこの二つの事実からも明らかです。その結果、日本はアメリカの参戦のためのスケープゴートの役割を担わされ、多くの戦争犠牲者を出すことになりました。今では「好戦的な日本の軍部が、真珠湾に集結する米艦隊に宣戦布告なしで奇襲攻撃を仕掛けた」ということになっています。しかしながら、真実はその逆で、「ヨーロッパにおけるドイツとの戦争に介入できるようにアメリカ国民の世論を変えるため、真珠湾の軍の基地を攻撃しやすい形に準備した上で、日本を挑発し、奇襲攻撃をするように追い込んだ」ということだったのです。
  ルーズベルト自身は、その裏にいる世界支配層の命ずるままに与えられた役割を演じただけなのですが、この本の著者はその黒幕の存在にまでは目が届いていないようです。世界はいまでは完全に彼ら(世界支配層)の手の内にあり、いよいよ「無駄飯食いの大整理」のために終末の大混乱へと導かれつつあるということです。2011年に我が国を襲った東日本大震災は、まだその序曲と言える程度の出来事と思っておくべきでしょう。彼らが演出しようとしている終末の大混乱は間違いなく「世界大恐慌」すなわち、お「金が支配する世界(資本主義社会)の終焉」からスタートするはずだからです。
  ということで、か弱い羊の立場に置かれている私たちは、もはや物質的な繁栄を願うような心の姿勢(物質文明への執着)はきっぱりと捨て、覚悟を決めて、一日一日を「世のため、人のため」という利他の気持ちで生きていくことが大切です。

 
 
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