実録・幽顕問答より
古武士霊は語る

近藤千雄・著 潮文社


 身元のせんさく

 続いて宮崎氏は加賀の武士と名のる泉熊太郎の身元の割り出しにかかります(注@)。そのやり取りの中に数百年の時代の違いがよく出ていて、面白い場面が展開します。

宮崎「そこもとはこれほど見事なる書をものする武士の身ならば、定めし文字を多く知りおることであろう。この用紙に貴家が仕えていた当時の国主の禄高、家老・中老の姓名、および領内の郡村名を記されよ」

「前にも申せしごとく、密かに国を出でたる武士は国内のことは包むが武士道なりとの意を聞き分けなきや。われ武士道を破りてまで私願を遂げて悦ぶがごとき性質にあらず。姓名を名のるさえ祖先に対しまた君主に対して申し訳なき次第なれど、さりとて願い叶わざれば再び人を悩まし、余の苦悩の止む時なきが辛かればこそ、まげて姓名のみは記したり。然るに、なおかくも追求の手をゆるめぬところみるに、貴殿らは余の申すことに疑念をはさんでいるものと察せられる。
 よく聞かれよ。およそ天地の間にはこの種のことは必ずあるものにて、人間のみならず、時としては山川に住むもの、また大樹・大石の非情物だに人に影響を及ぼすものなり。されど人これを疑う。今この疑いを解かざるかぎりは余の願望を遂げるは困難とみゆる。さらばいざ何なりと聞かれよ。国主にかかわらぬかぎりは何なりとお答えいたすであろう」

 “山川に住むもの、また大樹・大石の非情物”というのはいわゆる“精霊”のことです。進化の程度は人間より低いのですが、自然界の造化作用において重要な働きをしており、人間はその存在が肉眼に映じないために時として不快にさせる行為をして祟られることがあるわけです。
 ここでは、自分がかつて加賀の武家の長男だった泉熊太郎という人間の霊であるという事実がまだ百パーセント信じてもらえていないことに不満を表明しているのですが、肉眼に見えている姿はあくまでも病人の市次郎なのですから、そう簡単に信じられないのは無理もないことです。また審神者はそう簡単に信じてはいけないのです。本物はどんなに疑ってかかっても本物なのですから……。

宮崎「さらばそこもとの主君にかかわりなき郡があるであろう。一郡でも五郡でもよい、告げられよ」

「わが本国のグンとな? グンとは何ごとにや」

 ここで吉富氏が畳の上に〈郡〉の字を書きはじめると、まだ書き終わらないうちに「コオリのことか。日ごろ聞き慣れませなんだ」と述べ、さらに言葉を継いで――。

「わが本国には四郡あるのみにて五郡なきことは知りおるはず。たとえ知らぬが故に問われるとて、うかつに記してなるものぞ。みな君父の領内なるものを……。されど、それほど地名を知りたくば五つ六つ書くべし」

 そう言って〈榎木村〉〈榎木原〉〈篠原〉〈原江〉などの地名を書きました。私は念のため加賀市役所の戸籍課に電話して調べてもらいましたが、現存の資料にはそういう地名は見当たらないとのことでした。何しろ数百年も前の話ですから、すっかり地名も変わり、また今日ほど記録の保存に注意が払われていませんでしたから、いつしか消滅してしまったのでしょう。ちなみに加賀市役所では戸籍は八十年間しか保存しないそうです。
 さて武士は地名を書いたあと言葉を継いで

「かかることども、たとえ百千書いたとて、疑念の解けざる時はわが願い成就してもらわざれば徒事となるなり。また村名、山名、江名(大河の名)など書き並べたりとも、遠国のことなれば、われ一人知りしのみにして、疑念を晴らす証とはなり難し。しかし、わが本国のことご存知あるならば書きもすべし」

宮崎「そこもとの申すこともっともなり。さらば別のことを問うことといたす。さきに石碑の図を書き正面には七月四日とのみ記せよとの望みなれど、同月同日に死したる者はあまたあ れば、その年号も書き添えられよ。何といいしぞ」

「年号を記さば直ちに君父のことは知れるものなり。記してよきことならば何故に包み隠そうぞ。道に違い義を失うことは、いかに問わるるとて告げるわけには参らぬ」

宮崎「七月四日とのみ記して建立すれば、もし当家が転居することがあらば粗末にされることは必定。仮にさようなことにはならずとも、何人の墓であるか不明なれば、おのずから粗略となるのが道理。その折には魂はいずこへ行き、いずこに鎮まるぞ」

「われ天地とともに、記念してもらいし所に鎮まる心底なり」

宮崎「単に月日のみを記しおかば、いずれ粗末に扱われるは必定なれど、それが望みとあらば致し方もなし」

 この言葉に武士はしばらく考え込むよう俯(うつむ)いたまでしたが、やがて独り言のように
「何とか別に致し方はなきものか……」
とつぶやいてから、粗末に扱われては再び祟りかねない風情でじっとこらえている様子でした。

宮崎「国主の名、切腹当時の年号、本国内のことどもを、そこもとが言を左右にあくまでも秘密にせんとすることこそ不審なり。ぜひとも書かれよ。悪しくは計らわぬ」

 この言葉に憤まんを抑え切れなくなった武士は、開き直った態度でいかにも武士らしい啖呵を切ります。そして、これがきっかけとなって死後の世界の事情へと話題が発展していきます。

注@身元の割り出し――霊言にせよ自動書記にせよ、一個の霊が霊媒を通じて通信を送ってきた時に、その霊が地上でいかなる人物であったかを知りたいと思うのは人情であるが、この武士のように地縛的な状態にある場合や他界して間もない近親関係の霊の場合と、シルバーバーチのようにすでに地上的な煩悩を捨て去った霊が一つの総合的な計面の一環として、指導的な役割を担ってメッセージを送ってくる場合とでは事情が異なることを理解しなければならない。
 今ここでその異なる事情をくわしく述べる余裕はないが、そういう事情を生み出す最大の要因は、他界直後の人物像と、幾段階もの進化の階梯を首尾よく登っていった末に身につけた人物像とは似ても似つかぬ、まったく別のものになっていることである。
 われわれの肉体、厳密にいえば脳髄を通して顕現している自分は、本来の自我のほんのひとかけらに過ぎないという。その幼稚さは、たとえてみれば、やっと勉強を始めたばかりの小学校一、二年生程度であろう。その中でも優秀な成績をとる子は“よく出来る子”として先生に褒められ、友だちから尊敬され、自分も得意な気分になっているかもしれない。
 他界後に真実の自我に目覚めていくのは、あたかもその小学生が高校生や大学生の存在に気づくのと同じで、それまでの得意な気分や自尊心はいっぺんに吹き飛んでしまう――少なくともそうなるのがまともな過程であって、もしそうならなかったら、それは“おめでたい霊”、早くいえば低級霊ということになる。
 こうした事実から理解していただけるように、歴史上の人物の名、あるいは神話に出てくる神々の名をみずから名のって出てくるような霊は、そのことだけですでに低級霊であることの証左であるとみてよい。少しでも霊界の実相に目覚めたら、とてもそんな児戯に類することは出来ないはずである。そもそも地上時代の名前など、とっくに意味を失っているのであるから……、というのが私の意見である。
 一方この武士のように地上時代のことにこだわっている霊、あるいは他界して間もない霊は地上時代の人物像とそう大差はないはずであるから、その身元は確認できるはずであるし、また、しっかりと確認することを怠ってはならない。
 その意味でも、このあとの宮崎大門の態度は当を得ているといえよう。要するに“霊を試す”ことが大切なのである。
 
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