実録・幽顕問答より
古武士霊は語る

近藤千雄・著 潮文社


 霊遷(みたまうつ)しの儀式

 武士が最後の訓戒を語り終った頃には三方に神酒と肴が供えられて、いよいよ霊遷しの儀式の用意が整いました。山本氏からその旨を告げられると霊は威儀を正し、三尺ばかり退がって一礼しました。左右には宮崎氏と山本氏が祭服をつけて坐し、三、四十人にのぼる人たちも四方に席を取りました。
 数百年の宿願の成就を目前にして武士はさすがに感無量で、霊箱を深々と伏し拝み、涙を流しながらその内部をしげしげと見つめ、やがて袖で涙を拭ってから

「さてさて時を得て願望成就し、悦ばしきことこれに過ぐるものはござらぬ」
 と述べるのでした。

宮崎「心に残すことあらば何なりと申し置かれよ。ともかくも計らい申さむ」

「それがし心に残ること更になし」

作次郎「こののち当家に凶事の兆しあらば申し置きくだされ」

宮崎「いかにもその通りでござる。ぜひ教えられよ」

「当家に代々不吉なること生じたれど、そはわが怒りに触れてのことなり。今はかく悦ばしくだされば、以後さる類いの事はなかるべし。もとより少々の不幸災厄を免れざるは世の常なれば、深く思い煩うにも及ぶまじ。もしも凶事の兆しある時は、それがし守護して鎮めん」

伝四郎「毎年七月四日には宮崎、山本ご両人のご苦労を願い、一家近縁の者ども集まりて祭りを催すであろう」

「有難き幸せ、何とぞ御法通りに致しくだされ」

 こう述べた時、人情とは妙なもので、現象が始まった当初は気味悪がって一刻も早く立ち退いてほしがっていた人たちも、今やすっかり泉熊太郎に心情が移っていたとみえて、名残惜しさの余り部屋中ですすり泣きの声が聞こえた、と傍注にあります。霊は言葉を継いで

「また申すまでもなけれど、わが霊の鎮まる場所設定の件は何とぞ世間に包み、とくに公のご厄介にならぬようお取り計らいくだされ」

 そう述べてから手を合わせ、箱に向かって拝伏したまま二度と頭を上げることはありませんでした。
 そこで灯火を消し、霊遷しの儀式を終わり、最後に宮崎、山本両神職が柏手(かしわで)を打つと、市次郎の体がそのまま左の方へゆっくりと転がる音がしました。霊が市次郎の体を離れて霊箱の中に鎮まったわけです。
 そこで点灯して箱の鉤(かぎ)を締めてから門外へ運び出し、仮の一所に安置したのでした。
 
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