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「新聞のお姉さんへ」

徳島県徳島市 増田裕江 (23歳)
  
  私は高校卒業後、親の反対を押し切り東京の学校に進学した。自分で学費も生活費もなんとかする、と決めてのことだった。大学近くの新聞店でやとってもらい、朝刊・夕刊・集金・勧誘をしながら学校に通っていた。最初の一年は、授業料以外に教科書代や実習費などの出費が続き、生活は苦しかった。

  そして、初めての冬を迎えた。午前二時起床、出勤。印刷されたばかりの温かい新聞に、広告を入れて配る。寒さをしのぐため、軍手をはめて服を着こむ。首にはタオルを巻いていた。マフラーを買うお金があるなら、大学で使用する参考書を買わなければ‥‥いつもそう思っていた。

  やがてクリスマスの日。配達先のポストに、『新聞のお姉さんへ』と書かれた紙とプレゼントが置いてあった。中をあけると赤いマフラーと激励の手紙。胸が熱くなった。
  知らない土地に一人で来て、どんなにつらくても苦しくても絶対に泣かなかった私が、初めて泣いた。
 
『涙が出るほどいい話』(河出書房新社・刊)より