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赤城おろしの坂道で

群馬県境町 高木 正 (34歳)
  
  赤城おろしが砂ぼこりをあげて吹きつける十一月の寒い日のこと。車椅子の私は買い物に出た帰り道、途中の上り坂まで来ました。歩いて上るならなんともない、わずか五メートルほどの坂なのですが、車椅子で上るのは大変なのです。
  息をととのえて私は坂を上りはじめました。折からの強い向かい風とで、思ったよりも前に進みません。泣きたい気持ちでひとこぎ、ひとこぎ、今にも止まってしまいそうなスピードで坂の中ほどまで来た時でした。急に車椅子が軽くなったのです。
  誰かが押してくれているのがすぐにわかりました。ありがたいのと嬉しさがこみあげてくるのを感じながら、私も力いっぱい車椅子をこぎました。
  坂を上りきり後ろを向くと、そこには小学五年生くらいの女の子が立っていたのです。
  「ありがとう」と言うと、女の子はチョコンと頭を下げて坂道をおりて行きました。何にも言わず、黙って私の車椅子を押してくれた女の子の後ろ姿を見送りながら、私の心の中は何とも言えぬ感激でいっぱいになり、とても気持ちの良い涙が流れてきたのです。
  十年ほど前のたった一分たらずの出来事でしたが、私にとってこれからもずっと忘れることのできない、とても大切な思い出なのです。
 
『涙が出るほどいい話』(河出書房新社・刊)より