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中江藤樹の母

渡部昇一
  
  中江藤樹という人は江戸初期の儒学者で、近江聖人とも呼ばれた高徳の、日本における陽明学派の始祖ともされている人だ。
  藤樹は近江(滋賀県)の生まれなのだが、小さな頃に祖父に引き取られて、伊予の大洲(愛媛県)で生活をしていた。学問が非常に好きで、またよくできたのだが、近江にいる年老いた母のことが常に気がかりだったという。後に、老母を養うことを理由に脱藩し、近江に帰ることになるのだが、それにまつわる逸話が残されている。
  藤樹のいる伊予とは違い、母の住む近江は冬はことのほか寒い。井戸端での水仕事で老母の手にひびやあかぎれができていはしないかと心配した藤樹は、冬のある日とうとう、思い余って母を訪ねるのである。母のためにあかぎれの薬を買って急ぎ故郷へ帰った藤樹は、雪の降りしきる戸外でつるべ仕事をしていた母にその薬を差しだしていたわり、肩を抱いて家の中へ入ろうとする。ところが母は、
 「あなたは学問をするために生まれてきた人だ。母を訪ねる暇などないはずだ。すぐに帰りなさい」
  と、薬も受け取らず、家にも入れてくれずに藤樹を追い返してしまうのだ。
  母に諭(さと)され、雪深い道をとぼとぼと帰っていく藤樹の後ろ姿を、老母は涙しながら見送るのである。辛い別れでありながら、母親の子を思う気持ちを理解した藤樹は、その後勉学に励み、当代一流の儒学者となる。そしてその評判は、日本全国津々浦々に鳴り響いていくのであった――。
 
自分の品格』(渡部昇一・著/三笠書房・刊)より